報道で触れた物事の傾向に対する意見が今に始まった話ではないことがある、と言うことを肝に銘じておかなくてはいけない
世の中の物事全てを一人の人間が知ることは出来ないわけで、だからこそ他者の意見なり見識なりを尊重し、そのうえで自分の意見を作り上げるしかない。これはそういうモノであって、たとえば「こういう立場の人はその下の人間が考えている事や接している状況をキチンと理解しているものだ」とか、「こんなことが起きている事を知ってるのは常識でしょ?」といった、その意見を言ってる本人の「常識」に基づいた意見を他の人に押し付けてはいけないよね、という考えを持っています。そんなこと聞かなきゃ知るわけない。自分で気が付いてないんだから覚えているはずもない。
そのあたりの話を、たとえば2011/01/20に ネットで触れる事ができる情報が事実であり真実であり潮流である、などと盲信してはいけない なんてエントリーでも取り上げたのですが、今回はその続編みたいなものかも。
え?何かって?いや、目の前の事象は自分にとっては新しいけれど、実は前からそこに存在してるんだよってことを前提に話を聞けるかどうかという事。
最近○○って増えてない?っていう印象の裏側
たとえば何かの事件をキッカケに或る一定の方向での事象が気になることがあります。たとえば交通事故だったり、たとえば何かの窃盗事件だったり、たとえば何かの詐欺事件のようなものだったり。でも、実はそういう事件が起きているコトを知るのは大抵の場合マスメディアの報道によるわけです。たとえばSNSの世界、いわゆるソーシャルネットの世界でそれらの事象を知ることも無くは無いでしょうが、基本的にはマスメディアの報道を後付けで転送しているようなものです。
で、ここで注意しなくてはいけないのが、たとえば事件性を持った内容の報道というのは一定の流れを持っていて、ある特徴的な事件が起きた後は、模倣犯の報道なども含めて同じような事件が起きると報道されやすくなります。
それで何が起きるか?「最近○○みたいな事件が多いよね」という話になっちゃう。
実は犯罪件数が劇的に最近増えたなんて話は無くて、別に犯罪じゃなくても色んな事が常に起きていて、それらがどこまで耳に入るかってのだけですべての印象が変わるわけです。でも、大抵の場合、同じような事象は前から別になにか傾向が変わってきた訳ではない事が多かったりします。あるいは、何らかのキッカケで急に増えたのか?でもそれを立証出来る訳でもない。
多分、きっと何も変わっていないんですよ。広く関心を得る前と後で。
あの人は今…系の話でだけ思い出される人の消息を単に知らないだけの話
これは芸能人に限らず知人関係でもあったりする話ですが、「そういえばあの人最近見ないけど、どうしちゃってるのかな?もう引退しちゃったのかな?」なんて話。でも実は単にその人の消息を自分が知らないだけって話が殆どなわけです。
たとえば現在私は関東に住んでいますが、基本的に関西で活動していてある時期関東(あるいは全国)に進出したあと、色んな理由でまた関西に戻った方。これは芸能人に限らない話ですが、関西でがっちり頑張っていてもその評価がこちらに伝わってこないと「あの人まだ何かやってるのかな?」みたいな話になるわけです。
でもそれは知らない自分(あるいは自分たち)だけの話で、今に至る経緯や現状をキチンと知ってる人から言わせると「お前が知らんだけや」という話になるわけです。挙句「知らんのやから勝手に辞めたとか話を作るな!」みたいな話もあったりして、なんだか色んな事があるわけですが、いずれにせよ自分は知らないんだったら素直に知らないということを受け入れて人の話を聞こうよという事を言いたくなること、ってのが時々あります。時々ですが。
なんで○○って未だにこんなことするんだろう?という印象の裏側
たとえば海外の何らかの事件や事象が報道されるときに、それを見ながら「なんでこんな風にしちゃうんでしょうね。たとえばこんな風にみんな仲良くしてですね・・・」的なコメントを聞くことがあります。あるいは知り合いなどと話をしていてもそんな流れになることがあります。
うん。判ります。その方がきっと今の日本の状況に照らしあわせると多分良いんだと思います。
でも、そこに至る経緯を余り意識せずに今の評価軸だけで判断して評価してるケースが多い事に愕然とすることがあります。物事にはそこに至るまでに必ず通ってきた経緯があるわけです。それらが正しかったかどうか、他に選択肢は無かったのかなど、後から考えると色んな意見が出てきます。実際のところ、過去の経緯のそれぞれの段階で必ずしも正しいとは思えない判断がなされて今に至るということがはっきり判っている場合もあったりします。
でも、それも一つの経緯です。それがあるから今があるわけです。過去を否定する事は難しいわけです。
更には日本の今の価値観、あるいはそれを評価しているその人自身の価値観に立脚する評価自体がなんだかなぁみたいな所があったりする場合も良くある話。もちろん、自分の価値観に基づく自分の意見っていうところで言うと、もちろんそれは私にもあります。実際のところ私は私の持っている評価軸でしか物事を判断することはできません。その評価軸を使って誰かの意見を評価しているわけですが、この関係や構造は誰でも同じで、全世界に通じる唯一無二の評価軸を持った存在なんてありませんから、世の中のすべては或る意味相対評価なわけです。
まぁ時々はそんな難しいことを考えたりする不肖岩永ですが、いずれにせよ私は私の軸でしか物事を評価出来ないし、それはどこのどなたでも多分同じだと思うんです。だからそれ自体は良い悪いの話ではない。
で、もちろん自分の持ってる意見がその時々でぐらぐらしすぎるのは良くない。何かしら軸は欲しい。でも、軸は人それぞれ。
ふむぅ