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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

今後日本の人口が(多分)減ってゆく流れのなかでインフラとしての社会システムをどうやって維持するのかってのは、とても重い問題

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週末の日経新聞に、かつて自分が住んでいた神戸と明石にまたがる「明舞団地」の話が出ています。昭和30年代には開発が始まっていた、関西でも有数の大規模団地です。私がその団地に住んでいたのは中学から高校にかけて、年で言うと1976年くらいから1981年の約5年。その頃は子供が多く住み、団地の中心にあったショッピングセンターも結構いつでも人がいた記憶があります。

ただ、他の団地にも共通する問題として、そこで育った子供たちが巣立って行ったあと、居住者の入れ替わりが少ない場合に間違いなく直面する急速な高齢化や、地域コミュニティが成立しづらくなるという状況などがあるわけです。

自分自身が就職して一人暮らしを始めるまでは基本的に団地で育った人。だからこそ見える部分というのがあります。同じような話はたとえば千里ニュータウンでも多摩ニュータウンでも聞かれる話。実際のところどこにでもある話です。もちろんそれは団地だけではなく、地域自体がそういう状況であることが多く存在するのはその通り。

で、それらをITの力を使って云々という話があったりしますが、それに深入りすると面倒くさいことが起きるのであえて触れずにおきますが。

 

建物は長持ちする。でも、住む人が減ってしまうとどうなる?

マンションでも一戸建てでも良いのですが、建物自体は今や100年とかもつ程の品質を持つところまで来てるわけです。そんな建物(だけでは無いかもしれませんが)が立ち並ぶ住宅地ってのは既にあるわけです。でも、そこに住み続ける人が果たしているのだろうかとか、地域として人口が減ってしまった後に残されたそれらの建物も(これは当然ですが)誰も済まなくなるとあっと言う間に傷んでしまう。

ちなみに、そんな住宅なんだからもっと中古として流通すればよいのだよ論もあるかと思いますが、たとえば今の私のキモチで言うと、よほど理由が無い限り築何十年なんて物件を買ったり借りたりすることは無いんじゃないかなと思うんです。しかも人口が減って物件が余る状態であればなおさら。もちろんそこでも新築物件の供給は当然あるでしょうから、それと直接比較したときに勝負できる土壌が存在するのか。

人口問題、都市問題、あるいは住宅や建築の専門家ではありませんから訳の判らん心配を勝手にしているだけなのですが、それでも自分の子供の将来を少しでも考えると、それなりに自分の問題として心配にはなります。

 

コミュニティの活性化をITで、という幻想

不肖岩永、芸歴でいうと20年以上ITの世界に居ましたし、いまの通信事業者という立場からも、たとえばデジタルデバイド解消云々の思想自体は理解しています。地域の活性化にITで貢献するぞという流れの考え方も一応理解しています。

ただ、現実にはそこに人がいないとコミュニティ自体が成立しないわけです。地域社会自体が成立しなくなるわけです。

これは現実。場所によっては既に。そしてたとえ「都会」と呼ばれるような場所であっても局所的にはそういう状況は起きつつありますし、それらが一種の空き地のように日本の地図を埋めてゆく流れすらあるわけです。そう。ひょっとしたら日本のあちらこちらにゴーストタウンのようなエリアがどんどん出来上がってゆくかも知れない。

 

単なる杞憂かもしれません。ただ、流れとしては現実に、しかも確実に人口は減って行くし、人口比率の中での高齢者比率は確実に高くなる。老老介護の問題なんてのはどこにでもある現実で問題にすらならなくなってしまうのも目に見えている。

じゃ、それに対して何を準備しなくてはいけないのか。その状況に備えるだけではなく、たとえば50年とか100年後にどんな風になっているべきであって、でも実際の可能性というか現実的なところはこんな風になってしまうのだよというコンセンサスも必要かもしれないし…

私もさすがにちょっと色々と考える年齢になりました。

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