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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

以心"電信"

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相変わらずTwitterをメインに動き回る私ではありますが、それだけではなく、facebookの使い方というか使い道がさっぱり判らんぞとか、LinkedInって日本語率少ないよなとか、相変わらずTumblrはお気楽で良いんだけどハマるとヤバいよねとか、色んな理由があってmixiとかには顔を絶対にださねーぞとか、まぁあちらこちらをうろつきながら色んな事を嘯いている毎日。

ちなみにそんな浮気性な状況ですが、結局のところそれぞれの場所で全く新しい人間関係を構築するなど出来るはずもなく、コアな部分ってのはどの場所でも基本的には変わらんぞ、っていうかコアとなりそうな人って私と同じようにどこにでもとりあえず顔を出せるようになってる状態の人が多い気がします。

あ、これは多分私の周囲にある程度限った話なんだろうなとは思いますけど。

 

直接間接に知ってる関係がある、そして全く関係ないという二面性で構成される普通の社会となんら変わる事も無いわけで

あえてこんな言い方をしますが、ネット上だから特別な関係になれるなんて露ほども思っていない私の場合、全く知らない人との交流の方法としての位置付けを持たせていないってのが、自分が自分の行動原理の根幹として理解しているいわゆるSNS系サービスに触れる上での大きな条件、というか状況であるという気がします。

じゃぁ何で幾つか使い分けているのか?
サービスによって向き不向きがあるのは当然だから。たとえメンツが同じでも飲み屋で出来る話と喫茶店出来る話、そしてオフィスの会議室で出来る話って違うよねってこと。それだけです。

ただ、そんな状況なのでそれぞれのサイトの特色はともかく、特定の機能に依存したモノなんて殆ど無い状態なので、なんとなく使っているそれらの仕組みをそのまま使い続けるのかどうかも良く判らない。

逆に言うと… SNSで広がる世界がどうのこうのって謳い文句が理解できない訳ではないのですが、特定の仕組みとかシステムとかサービスとかに依存した、しかも実際に会ったことも無い関係ってどうなんだろうとか思ったり。

 

いや、はるか昔、に雑誌などで一般的に広く普及してた「文通しようぜ」運動(嘘です。そんな運動があったかどうかは知りません(笑))の一環として、はからずも手紙を出したことはあるけれどやり取りが全く続けられなかったという、子供の頃の体験のトラウマがそこに横たわっているのかもしれません。

(笑)

いや、まぁそれはともかく、昭和30年代後半の生まれは、バーチャルな世界の云々ってのの普及と発展の流れに身を置きつつ、その前をキチンと知っていて、その後の変化に実はそれほど戸惑っていない層っていうモノを構成してるんじゃないのかな?とかちょっとだけ世代論にまで思いを馳せてみたり。

何しろ、寒くて外に出掛けるのも億劫なもので。

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