おせち料理通販のトラブルに見るブランドの信用力
このエントリーにおいて誰を非難するわけでもなく、誰を擁護するわけでもありません。ただ、ふと目にしたおせち料理に絡む通販のトラブルについて思うことを幾つか。
マーケティング脳の考えの入り口
このお正月、幾つかのおせち料理通販でトラブルが起きているとの話を眺めつつ、そこにブランドの信用力というモノを重ねて見てしまうマーケティング脳の持ち主の私。もちろん全てを見通すような神通力は端から持ち合わせていないとはいえ、例えば通販で何かを頼むとき、例えば店で何かを買うとき、何かしら信用するなり事前に納得するなりして次の行動に移るわけですが・・・
見本と違うぜ!ってのは実際のお店でも無い訳ではないとは言え
たとえばショーケースと違う食べ物が出てくるお店が無いかと言うと、そんな事はないとは思います。あるいはメニューに載っている写真や、それこそ雑誌などの紹介記事とは異なる内容のモノが出てくるお店ってのも無い訳ではない。
ただ、それを楽しむコトが出来る余裕があれば笑い話だし、そうじゃなければ二度とそこには行かないぜって言うのは一般的な話だと思います。でも、たとえばクリスマスケーキ、たとえばおせち料理、たとえば誰か大事な人との記念日の食事など、ある特定の日にあわせてそこにあるからこそ意味があるモノって言うのは、そこで何か起きると取り返しが付かない話にもなるわけです。
ブランドの価値を取り返せるか
たとえば横浜のカフェがグルーポン絡みで起こしてしまったおせち料理のトラブルの場合、その評判が広くネット上でも流れたことによって、ある意味取り返しが付かない話になってしまっているように見えます。
オーダーしたお客さまから見れば、その店の看板と、その店の告知を信用して、更に値段を考えたときに「これを頼んでみよう」と行動に移してもらえた時点では多分ブランドとしてとても良いポジションにいたといえるんでしょうけど、結果は・・・ 作っている場の写真まで出回ってしまい、結果として提供側の当事者の皆さんが想像もしていなかった状況に自らを置いてしまったようです。
他山の石
このエントリーの本意として誰かを非難するものでもありませんし、誰かを擁護するものでもありません。ただ、身の丈以上のモノに取り組む姿勢を勇敢と表現するのか無謀と表現するのかは表裏一体じゃないかと思うんですが、今回のおせち料理に絡む幾つかのトラブルは、そのあたりの一線を越えてしまっているように見えます。もちろん色んな事情と理由があるとは思いますが。
たとえば事前には何も問題が起きそうにも無いにも関わらず、現場では想像も出来ない事が起きるイベントという世界に随分と長く身を置いた私の場合、どこまでその状況を自分が理解できるのか、どこまで自分と一緒に動くスタッフが対応できるのかってのは最初から最後まで考えるという癖が付いているような気がします。でも、それでも対応しきれない事が起きる事も計算には入れていますし、それなりの覚悟もあるから物事を決めて現場に入れる訳です。100個の対策を講じていても101個目の問題が起きるのが当たり前ですから。
常に最悪の状況を想定して動くというのは訓練が必要ですが、時に想像もしなかった事態が起きるわけで、そこへの対応能力として何が必要かというコトの重要性は変わらない訳です。もっとも業種業態商材商流顧客などの条件により状況は千差万別で一概にこれが正解!などと言うものは無いわけですが、ある一定の範囲内においては何かしら考えるべきコトを忘れてはいないかと常に考える事を止めちゃいけないよな、と思ったりする仕事始めの一日の終わりです。