レギュラー投稿記事の区切り、そして次のステップへ
紙であれWeb系であれ、ブログのような形ではなく連載投稿として続くものってのは結構あります。媒体によってはそれをブログと称する事もありますし、そうじゃ無い事もある。まぁ、これは編集のポリシーやスタイルによる話なんで、それ自体云々という話ではない。
でも、始まりがあれば当然終わりがあってもおかしくないわけで、色んな事情や状況の変化などによって企画自体が終了したり、同じ企画であっても書く人が変わったり、連載自体が終了したりする時が来ることは不思議じゃない。
ただ、それなりに楽しみにしていたりするモノの場合は、やっぱりちょっと寂しいわけで。
単なる記事じゃない。読み物としての書き物。
ちょっと上手く表現できませんが、そういう類のモノって意外とあったりします。たとえば有名なところで言うと日経新聞の「大機小機」ってのがあったりします。正確には記名コラムではなく事実上匿名なのだけれど、一定の知識を持った方のコラムということで、内容についてたまに議論を巻き起こしたりしていますが、議論になる事自体に存在意義があるよねと個人的には思いつつ、たまに反発、たまに納得という立ち位置で読んでいます。
で、なんとなくこういう系統のコラムは誰が書いてたんだよとか言った話が出てきて、それはそれで面白い。社説とはまた違った立ち位置。その存在自体については、私は好きですね。
じゃぁ、他ってどうよ?
愛読していた連載の終了のお知らせに、微妙に驚いて、でも基本的に納得してて
通信事業に関わる私として以前から拝読していたのが、日経ビジネスの連載コラムのクロサカタツヤのケータイ産業解体新書。最新の記事に気が付いたのは掲載日である今日12月27日の午前0時過ぎ。確か気が付いたのはTwitterのTL上の話だったのですが・・・
え?最終回?
うむ~。そっかぁ。
まぁ事情はそれなりに解るんですが、やっぱりちょっと残念。でも、残念がっても仕方ないので、とりあえず卒業おめでとうございますと暖かく送り出すのが正しい読者の姿かと思っています。
このコラム、当然のように関係各方面に波風を立てることも無くは無かったのですが、こういう連載を見ると、素人ながら何かしら文章を書くというコトをやっている立場としては「何も無かったようにスルーされるよりもキチンと伝えたい事を伝えて波風が立つほうが良いのではないか?」ということを、やっぱりそれなりに考えたりします。
もちろん文筆業でもなければ記者でもない所詮素人の私の場合、自分で負えるリスクというのは自ずから限界が有りますから、そこはそれなりに自重するなり空気を読むなりしないと大変な事になったりします。その意味で、何かしら自分の言いたい事を代弁してくれるような記述を見つけたときには嬉しかったりするんですが、まぁそれはそれ。
Web上の情報というのは事後の検索性が高いわけですが、鮮度とは別の話なわけで
何時の時点の記事なのか、そのときにどういう背景があったのか、そしてそれらに対して筆者がどのように考えているのかってのをキチンと伝えているのが良記事であり、正しい情報であると思っています。もちろん関係者に迷惑がかかるような暴露モノは不味いですが、そのあたりの空気感をキチンとクオリティのひとつとして保てる書き物っていうのはとても難しい。少なくとも私のような素人には難しい。
でも、そんな事を密かにブツブツ言っていても仕方ないんだし、自分の立場と立ち位置の問題もあるし、それを踏まえてそもそも自分は何をどうしたいの?なんてコトを改めて考え始めている師走も押し詰まってきた昼下がりです。