新しいシステムをこんな分野に適用しようぜ論の裏で、それを維持するための手間暇やコストの話は議論されているのかな?と、時々考える
別に何のシステム、とは言わないのですが、色んな分野で色んな新しいシステムやら機器やらが出てきて、それをこんな分野に適用すればこんなに新しいことや素晴らしいこと、いままで出来なかった事ができるんだぜ!だからみんな応援してくれよ、見たいな話ってのは大昔からあります。
もちろん、それはとても大事な話。それが無い限り色んな意味での進歩はありません。
でもね、導入するだけでは結局ダメなのよ、って話には枚挙の暇が無いってのも忘れちゃいけないわけで。
たとえば教育の現場における電子デバイスを取り巻く議論の中で
最初に断っておくと、私自身はかつて「マルチメディア」と呼ばれた一連のシステムの興隆期に営業的あるいはマーケティング的に携わっていたりしていましたし、その前後も映像なり何なりの仕組みにずっと携わってきましたから、電子デバイスが実現できると当時夢として語られていた、その「モノ」が今どんどん目の前に現れているコト自体については、有る意味深い感慨を持って眺める事が出来ます。
ただ、その当時もそうですが、システムを入れるコストはよしとして、その後の維持費をどう考えているかっていうのがいろいろな意味での分かれ道になっていました。でも、多分これは今でも変わんないんじゃないかと思います。
特に導入時と維持の管轄が違うような場合には、それこそ「目も当てられない惨状」が待っていたりします。使われないデバイス。メンテナンスの出来ないソフトウェア。最初に作ったきりのコンテンツ。気が付くと除却も出来ずにリース切れまで放置されるシステム。
かつて何度もそういうシステムを見てきたのですが、いや、それだけです。
もちろん、そんなわけの判らん物言いはしていますが、もちろん電子デバイスじゃないと出来ない事ってのは山のようにあるわけで、不肖岩永ですらその部分に夢は持ってます。それだけは間違いないですよ。
でも、いや、そもそも、私の私見ですよ、私見。あくまでも。
いや、何を具体的に指しているのかって言う話ではありません。あくまでも一般論ですよ。一般論。
だけど、なんだかそんなコトを、時々ふっと思うことがあったりするんです。
いや、あくまでも一般論ですよ。一般論。