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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

これはもう驚くしかない「163歳男性が戸籍上生存」している件

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戸籍上生存しているにもかかわらず所在が不明な方の話が連日話題になっているわけですが、ついに150歳オーバーの存在が報道されています。場所は三重県志摩市。生まれはペリー来航の6年前の1847(弘化4)年6月で、なんとトーマス・エジソンと同い年。

う~む・・・

もう唸るしかありません。

 

制度上の戸籍制度や住民登録制度の運用と言うものを、そして死亡に纏わる流れなどを見直す必要性というのは法律の素人の私でも流石に感じる訳で

国家としての主体性にすら関わる制度とその運用ですが、何かしら手をつけないとどうしようも無いんじゃないかとは思います。流石に。それ以外にコミュニティーの崩壊とかいろんな事が言われていますが、実際のところ向こう三軒両隣云々というようなコミュニティーがどのように成立したのか、そして実態はどうだったのかとかを歴史的経緯を踏まえて眺めてみると、ちょっと違うんじゃないかな?とか思ったりもします。

何時の時代を例に取るかというのは難しい問題ですが、たとえば私が生まれた昭和30年代後半を見ても今より子供は多く、死亡率も高く、平均寿命は今よりももっと短く、大都市への人口集中が始まり、本当は酷かった公害問題はまだそれほど騒がれておらず、朝鮮戦争特需の後の不況から回復できていない経済はまだガタガタで、急増した人口を受け入れるための団地の造成がドンドン進められて今までとは違うライフスタイルが推奨され・・・ <==ここが実は大事だと思うのですが、旧来の(といわれていた)強い地域へのコミットメントとか、自分が属するコミュニティへのコミットメントなどとは別の世界を必要とした時代背景があったわけです。

たとえばその背景には戦時中に構成された「隣組」制度への反発やら相互監視といった動きへの反発などといった歴史的経緯もあったりするわけで、地域としてのコミュニティーがキチンと成立していないといわれている状況は昨日今日の話では決して無い訳です。

 

これらの事象についても常々思うのが、「今の状況は酷いからこうしようよ」論だけではモノゴトは何も解決できず、歴史的経緯をキチンと踏まえつつ未来に向けたビジョンを想定しながら今の改革とか変革を進めるという、ある意味当たり前の姿勢が無いとダメだよねということ。

もちろん目の前の利害関係とかが阻害要因として色んなモノを支配するわけですが、ならば妙な利害関係の意味を持たなくさせる社会が必要じゃないかとか言い始めると社会体制についての議論になったりするので面倒くさいですが、いずれにせよ、視点の置き方だけは間違わないようにしないと本質の部分を誤解するよね?というコトを改めて思う今日この頃です。

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