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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

別に誰を擁護する気も無いけれど、例えば経済に関する知識を継続的に得ようとするなら、Webで断片情報をかき集めるのではなく日々経済紙を隅から隅まで読むべきだと思う

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紙媒体ってどうよ?とか既存のメディアはもう終わりだね論とかが相変わらず渦巻いているわけですが、実は色んな情報が詰まっている缶詰みたいなところがあるよね、と思っている私。もちろんWeb上での情報収集はそれなりに欠かさないわけですが、それでも家で新聞を定期購読しています。それも経済紙。

マンションのチラシばかりで近所のスーパーのチラシが殆ど入らないという問題はありますし、たとえば小学生の息子が何かしら情報を得ようとしても、ちょいと敷居が高い。もちろん、たとえば入試の為に特定の新聞を取るなんて発想じゃないですから別にそれはそれでいいじゃんというコトに(我が家的には)なっているのですが、実はこういう形で何かしら「色んな種類の」情報が手に入る手段が家に常にある事って、とても重要なコトだと思ってたりします。

 

ある意味「ストック」としての価値を持つんじゃないかな?

もちろん検索性の問題なんてのはWeb系媒体とは比較にならないわけで、「あの記事って何時よんだんだっけ?」なんてのは当然の問題として存在します。でも、たとえば私の場合で言うと、とにかくひたすら眼を通して、そのあとそれを束ねて棄ててしまい、その後は必要があれば思い出すだろうし、そうじゃなければ忘れちゃってもいいよね?くらいの軽い気持ちで接しているわけです。

このあたりの感覚は、テレビでニュース番組をぼけっと眺めているときと同じかもしれません。

残念ながら毎日全部に眼を通す事はとても難しい環境にいるので、1面とかはともかく詳細については殆ど1週間分を週末にまとめてやっつけるという状態ではあります。でも、時系列で何かを追いかけるというコトが出来てしまうので、最初は何が起きて、その後どうなって、今はココにいるぞみたいな経緯がとてもよく判るわけです。このあたりは、常に最新の情報を表に持ってきてしまい、経緯の裏を取りにくいことが多々あるWeb系の媒体とはちょっとちがうよね、と思っています。

ということで、情報の、経緯まで含めた缶詰みたいなもの、つまり「ストック」であると思ってるわけです。

 

学生の頃、よく言われました。毎日少しづつ継続することよって知識は確固たるものになるのだ論

これ、やっぱり歳を取っても変わらない訳で、何かの為に徹夜で勉強しても直ぐに忘れてしまう。でも、なんとなく毎日少しづつ情報に触れ、経緯を何となく眼にしているだけである事象に接したときにその背景からその先の方向性まで何となくわかることがあるわけです。

いわば、「自力」とでも言いましょうか。

その細かい積み重ねっていうのが、基本的に紙であるという事実と、紙だからこそどこにでも持ち歩けるしいつでも読めるという特性が生きるんじゃないかと思います。一種の専用媒体。逆に、PCなり何なりってのは基本的に他の用途にも使えるわけで、ついついメールを見たりゲームをしたりと浮気しちゃうわけですが、紙媒体を読んでいるときにはそれ以外の事は基本的に出来ませんから、ある意味集中できる。

得られる情報自体は、その瞬間の断片かもしれない。でも、それが継続することによって、点が線になり、線が面になるという理解の広がりを生むわけです。

 

もちろんそういう活動をPCの画面上などで継続して出来る方はいらっしゃるかとは思います。でも、少なくとも私の場合にはどうしてもそれを継続できないようです。調べ物は絶対にWebの世界の方が楽。でもキチンと理解するために文字と格闘するなら、絶対に紙。

そうです。誰の味方をするわけではないですが、少なくとも「紙媒体の味方」ではあるんでしょうね。

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