誤植?誤字?
かつての活版や電算写植の頃は、書いた原稿を印刷物などにするときに印刷用の文字に置き換える部分の仕事は書いた人とは別の人の作業。もちろん文字を書く側での誤字脱字はあるわけですが、そこを書く側が何度も校正した上での作業ですし、意図的に別の文字を充てることもあるとはいえ、その作業の中で拾った文字の間違いが起きる事があるわけです。
いわゆる「誤植」です。
でも、これがDTPであったりなんだったりと、原稿を作った人の内容がそのままデータで流し込める状況であると、基本的には文字を拾う作業というのは発生しません。
これを「誤植」と言っていいのかな?まぁどうでも良い話かもしれませんが。
厳密には違う気がする
今でも慣用的に「誤植」という表現を使う事があります。私自身はいわゆる出版業界の人ではなく、いわゆる印刷物の世界で言うと何かしらのパンフレットやら何やらを印刷会社や制作会社の方と一緒に作るという立場ですから、厳密な定義について正しい知識を持ち合わせているわけではありません。
でも、活版でも電算写植でもないのに「誤植」という表現っていうのはなんだか変じゃないのかな?って思うんです。なぜかって?いや、だって、原稿を作った人の文字データをそのまま流し込む事が多いわけで、「植え込む文字」を間違ったわけではない。そもそも原稿を作った人が生み出した誤字脱字の世界じゃないのかな?と思うんです。
拘りすぎかな?
人が作る誤字脱字、人とかな漢字変換プログラムのあわせ技が作る誤変換
単純な誤字脱字というのは基本的に人の責任。それに対して誤変換は人とかな漢変換エンジンのあわせ技、という気がします。もちろん最終的に変換された文字列を選ぶのは人ですからかな漢絵変換プログラムに責任を負わせるのは酷かもしれませんが、いずれにせよ原稿をデータで流し込むとき、最初の段階で起きる誤字脱字の類は結局原稿を作る人の責任だよね?という気がします。
で、これを「誤植」と呼んでよいのか?
う~ん。よく判りません。もちろん単純に原稿を流し込んだ後の校正・校閲のプロセスがどこまで機能しているかと言うところにも大きく依存しますが、最終的に何かしら意図せずに正しくない文字が出ていたり、脱字があったりというのが皆無ではないのも事実。
でも、これを「誤植」と呼んでよいのか?
う~ん・・・
単に私が勝手に気持ち悪がってるだけなのかもしれませんが、どうなんでしょうね?