宇宙が決める暦、そして祝日の微妙な関係について考えてみる
カレンダーと言ったときに、たとえば壁にかかってたり手元においてあったり手帳だったり、あるいはPCの中のデータとしての何かのスケジュールだったりを思うことも多いわけですが、そもそもは太陽の周りを自転しながら公転している地球の動きで決まるものがそもそも根本にあるわけです。地軸が公転面に垂直で無い事から緯度によっては季節が生まれるとかあるわけですが、地上で生きている人間にとってその巡りを変えるほどの力は無い。ということで、たとえば日本の場合でも春夏秋冬という四つの季節が生まれ、それが一周すると年と言う単位でそれを数えるというのが、いわば天文学的な暦。
ほんでもって、その基準を計測して決定している人たちが居るわけです。
今は非常に細かい桁まで計算できますが、時計を正確に定義し、それを踏まえつつ天体としての地球の運行を正確に観測し、正確に計算し、生きるうえで活用するかというのが人類の長い歴史の中で営々と培われてきた知識のひとつだったりするわけです。あ、上の記事にもありますが、昔はともかく現在の時間は地球の運行を元に決定されているわけではありません。なにしろ宇宙空間をフラフラ飛んでる地球の動きは一定じゃありませんから・・・ という前フリを踏まえつつ・・・
祝日の意味、そしてそれを誰が決めるかというコト
そもそもは何かの記念日を祝日と既定し、その日はめでたい日だから休もうぜというのがとりあえず祝日の定義の一つだと私は思っています。多分それほど大きく違っていないとは思うんですね。
ただ、これがみんな完全にバラバラだと経済活動も何もあったもんじゃないし、その日がめでたい日であるというコト自体を定義するのはその地域のその時点での為政者の大きな役割=現実化している権威でもあるわけで、歴史的経緯なども踏まえつつ、それぞれの国や地域、宗教などによって祝日が決められているわけです。これは歴史的経緯としてそうなってる話。
とはいえ、天文学的に計算して決まる季節の節目とかもあるわけで、これを祝日と定義するかどうかっていうのも為政者の話。例えば春分や秋分、夏至や冬至っていうのは地球の天体としての運行上決まるわけで、これを誰かが勝手に動かす事は出来ないわけです。でもこれらの日を政治的に、あるいは経済活動的に何らかの祝日とするかどうかは為政者としての役割。
というか、そもそも太陽暦と太陰暦の絡みあたりまで話を広げると、そこには非常に長い歴史的経緯が作用しているよねとか、色々と思うことはあるわけです。
因みに春分の日を休日にする、あるいは暦年の元日とする国や地域は幾つか存在するんですけれど、日本は世界的にもあまり例の無い天文学的な(フラフラ飛んでる地球の動きは一定ではなく毎年変動する)春分と秋分を祝日としている国だっていう事実は意外と知られていないんですよね。こういうのを掘り下げて調べると結構面白いモンです。
記念日やら何かの節目の休日をつなげて長くしちゃおうぜとか、地域ごとに変えようよという話っていうのはこれまた為政者の意図であるわけで
日本においては議員立法が必要であるにも関わらず(今現在の)政権党が議員立法を制限してるとか色んな矛盾があるんですが、それはさておき、例えばゴールデンウィークの谷間を「国民の休日」というウルトラCで繋いでしまったように、祝日を幾つかつなげようとか、それを地域ごとにずらす事によって経済活動にも効果を出そうぜという話があるわけです。
ただ天文学的に決まる祝日が絡んだりすると地域ごとに巡り合わせの優劣ができるとか、政策的な何かが匂うとかいろんな事が裏側に潜んでいたりして、一体どうなるんだろうか?と微妙に気になります。あるいはいきなり決まってしまうと、壁のカレンダーが訂正シールだらけになるんだろうか、とか。
とはいえ、まぁ所詮祝日の話ですから、それこそグレゴリオ暦とユリウス暦の切り替えみたいな壮大な話とは別次元の話だし、うるう年の計算を変えるとか月の数と一ヶ月の日数を変えるとか言ったものとも別の話ですけど。
因みに余談ですが
私自身、実は暦の歴史って結構好きです。天文学に詳しいとかそういう話ではなく単に趣味レベルで本を読み漁ったりして楽しんでいるのですが、暦が天体運行とずれて季節が一致してなくて歴史書上の記述がよく判らんとか、元号が頻繁に変わって年数とかを計算するのが面倒くさいなんて事はそれなりにあったりします。その地域、その年代での閏年の計算方法とかも違ったりするしとか色んな状況も絡んだりして、もう何だか判りません(笑
あるいは比較的簡単なところで言うと、「10」月なのに何故「October」(本来は8の月ですね)なのかとか。
と、そんな事にふと考えを巡らすきっかけにもなる日本の今後の祝日の行方。