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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

沖縄の海兵隊基地移転問題にみる「同じ事象に異なる視点」という基本的な構造

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同じ事象であっても、たとえ同じ場所でそれに接していたとしても接した人の数だけ視点があるわけで、その人個人の信条なども絡んでそれぞれが異なる意見を持つというのは当たり前です。更にはそこに国や文化的な背景、そして立場の違いがあればなおさらの事。そりゃ当然です。そして、例え自分に対しての対立意見だとしても、その意見の存在自体を否定してはいけないというのがオトナとしての行動かとは思うよね、という実例がいくらでもあるわけですが・・・

 

国内における「既存のメディア」の主張の違いと、ネット上で流れる情報との温度差や論調の違いというのは常に話題に乗るわけです

これはもう普通に目に付く範囲でいくらでもあるわけです。たとえばPC上で色んなニュースサイトやTwitterなどで流れる情報はもちろん、新聞や雑誌の論調、それぞれの分野のオーソリティと呼ばれる人たちのブログなどでの意見などなど。まぁこれらについては普通に目に入る世界です。

ただ、例えば事象の関係者が海外にも居る場合、それが国内とは全く別の視点で評価される事が当然あるわけです。立場も何もかも違うわけですから、同じ事象を全く別の軸で評価し、記事が書かれ、伝わってゆくわけです。

 

たとえば、例の沖縄の米軍海兵隊の基地移転問題。

日本にとっては国内問題そのものです。ただ、当事者として米国がある以上、そちら側にも必然的に影響を与えるわけで、特に今回の場合には極東における地域安全保障が絡んでくるというコトから、米国内のメディアでも報道されるチャンスがあるわけです。で、たとえばThe Wall Street Journalこのような記事があるんですが・・・

まず日本語版の方だとコレで

 

英語版(つまり元記事)はこちら

読者がどこに居る誰なのか、その誰かに一体何を伝えるのかと言う立ち位置が日本の国内向けのメディアとは異なりますから、当然論調も変わります。で、実はこういったものが世界の中での日本の評価を作っているというコトを、なんか忘れてしまう事があるんですよね。

普段日本語で接してる国内報道の内容を世界中の人が共有している、みたいな微妙な感覚。ありえないんですけど、何となくそういう風に思ってしまうところがどこかであるような気がします。

でも、逆に言うと、たとえばバンコクの騒乱状態やメキシコ湾のBPの油井火災と湾岸地域への影響なんかは日本には直接大きな影響が無い面もあって、解っているようで解っていないのが正直な話。それこそ金融に直接関係しているか投資に興味がなければFRBのバーナンキ議長が実は日本に来ていて、何を話しているかなんてのも興味次第ではどうでも良い話だったりします。

実際のところ、世界中で起きている事象に対して、それぞれの関係者や国あるいは地域の人と同じレベルの情報を収集するなんてのは到底不可能です。そういった事象の全てに高い関心を持ち、歴史的経緯から現状、そして今後についての意見を持ち続けるというのも凄く難しい話です。でも、たとえばある特定の事象に対して立場が違うと別の見え方がするし、別の見方をするものだ、と言う感覚だけは持ち続けないと、何かおかしなことになると私は思っています。

 

全部は無理。違いが良い悪いでもない。でも、できる範囲と興味のある範囲で良いから、目の前の事象を自分がどう受け止めるのか、どう判断するのか、それに対する違った立場からの理解というのはどういうものか、といった一連の流れだけは止めちゃいけないよねと思う今日この頃です。

 

因みにコレは余談ですが

ちょっと前に話題になった鳩山首相の「非常に」カラフルなボタンダウンシャツの話がありました。元は雑誌の記事で、この趣味は一体なんなんだ?というものだったのですが、それがCNNの手にかかるとこんな記事になって海外の読者が読むわけで・・・

Business turns buck on the back of Japan PM's fashion

私個人的には「あ~あ」という感じですが、それもひとつの視点。馬鹿にしちゃいけないよねと思うんですよ、一応は。

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