文体が示すあなたのお人柄(自戒を込めて
個人が個人として誰かに何かしら働きかける、あるいは何かしらメッセージを伝える場としてのブログだったりTwitterだったりなんだったりってのは、少なくとも私なんかからするととても広く認知されてきたよねと思います。ただ、そういった場でどういうものの言い方をするか、どういう書き方をするかと言うスタイルから生まれる妙なトラブルって言うのがやはり出てきている気がするんです。
随分と前にも何度か自分のブログの文体の話をエントリーにしていたりするんですが、そういった場でどういう風に自分を見せるかと言うところに若干の過剰装飾というか、自分に対する過度な期待っていうようなものがあるような気がしていて・・・
喋るように文字を打つという私のスタイル
私のこのオルタナティブブログのエントリーの場合、実は殆ど喋る言葉と同じ調子で書いています。これは私のスタイルで、実際に頭の中でしゃべりながらそのままキーボードで文字にしてゆくというのが私のブログを書くスタイルです。で、Twitterも基本的に同じ。ただ、こちらの場合にはPCだけではなく、いわゆる「ガラケー」や「スマートフォン」など複数のデバイスをその場に応じて使い分けていますから、厳密に同じ表現をそのままできるかと言うとちょっと難しいところがあるのは事実。でも、基本的なところって言うのは同じですね。
喋るように文字を打つというスタイル
ただ、やれ誤字脱字が多いとか、妙に穿ったモノの見方をするとか言われるとすいません・・・そんな男なので・・・と謝るしかないのですが、多分私と一度でもお話された事がある方であれば、私の文体と喋るところが殆ど同じである事に気づいていただけると思います。
以前、仕事上である文章を書いたとき、いわゆる真面目な仕事上の文章という自分とは違うスタイル以前に全く別のキャラクターを設定して、そのキャラクターの言葉で書いたことがありました。でも正直な話、今読み返すとまぁなんと無理してるんだろうという恥ずかしい限りの文章になっていたりするわけです。
喋るように文字を打つというのが私のスタイル
シロウトが妙な演出をしちゃだめだよね、というのを身をもって知った次第です。
モノの言い方、あるいは文体を選んで使い分けるのはプロの仕事
ブログであれTwitterであれなんであれ、やはり人それぞれに接し方や使い方があるわけで、私のスタイルを誰かに押し付ける事はできません。あくまでも事例ではあるでしょうけど。
ただ、たとえばTwitterの世界で「140文字しかないんだからさ」と嘯きつつ攻撃的な短い文章だけで何か言い続ける方をたまに見かけます。
同じように個人のブログのエントリーをひたすら強い口調の文体で書き綴られている方もいらっしゃいます。
それぞれが良い悪いではなく、それがそれぞれの場である一定のスタイルを維持し続ける事ができているとしたら(1)演出として凄い一貫性があるなという尊敬の念を抱く、か、あるいは(2)そこまで無理しなくても良いとは思うんだけどと思うかのどちらかって言うのが私の場合は多いですね。
もちろんこれは私の勝手な印象ですし、どこの誰がどうだっていう話でもありません。とはいえ、色々と勉強になるなって思ったりするわけで。
もちろんキッチリとした「文章」で構成されたブログってのは全く別物です
私自身は「ブログ」という場においてはそれほどキッチリとした文章を書かないようにしています、と言ってしまうと「そもそもまともな文章って書けるのか?このアホが!」とか怒られそうですが、これでも一応は場に応じて文体は変えます。
でもそれはキャラクターを変えるとかそういうレベルの話ではなく、キッチリとした文章を求められたらそれくらいはやりますよ、って言うレベルの話。基本的なキャラクターを変えるという話ではないわけです。
世の中、私のようなある意味いい加減なブログばかりではなく、キッチリと自分の意見を残す、あるいは誰かに伝えるためにキッチリとした文章をお書きになっている方はいっぱいいらっしゃいます。それはキャラクターを設定してその世界で動くのとは別の話。全然次元が違うと思っています。
因みに「私は~と思ってます」っていうのが私のブログのエントリーの場合は頻出するのですが、これには理由があります
そんな私ですが、設定しているキャラクターというかスタイルが一つだけあります。
自分がどう思ってるかというのが基点である、ということ
世の中の動きを伝えるというのは、オルタナのブロガーの中にもそれに長けた方が何人もいらっしゃいます。それに引き換え、私の場合には何かを伝える場合でもちょいと斜に構えてっていうのが多いのですが、それはとりもなおさず「私はこう思うんですよ」というところがお題の基点になっているからなんです。
一方、極力使わないのが「~の今後に期待したい」という結句。これは何だか自分の意見を一通り並べた後、「まぁどうなるかわかんないんだけど、俺はあんまり関係ないし、ま、それなりにがんばってね~」と言ってしまってるような気分になるので、どうしても私の場合には自分の文章の結句には使えません。
もちろん適当に突き放して「どうなるんでしょうね?」的な結句で終わるエントリーも山のようにあるんですが、これは「自分としてはどうなるかわからないです」という自分なりに素直な表現。ちょっとニュアンスが違います。少なくとも書いている本人の気持ちの中では、ですけど。
で、ぐるっと最初に戻ると
自分のネイティブなスタイルとしての文体ってのが私の売りなのですが、それとは違う形でキャラクターを設定するって言うのは凄いなと思いつつ、それが受け手にとってどんな印象をもたれるかっていうのを完璧に考えているんだとすると凄いなと思いつつ・・・
やっぱり何かを誰かに伝えるなら、可能な限り自分の思うとおりに伝わって欲しいと、たとえば私は思うんです。実名顔出しブログというある意味特殊な場であればなおさら、自分の文体から垣間見えるキャラクターと実際に会った時の印象とのギャップが少ないほうが良いとも思っています。私は。
それでもたとえばTwitter上やTumblr上でかなりつっけんどんなモノの言い方をしている場合はあります。正直あります。でも、それはその場のその状況でそんなものの言い方をしたくなる事や、実はコンテクストを理解している仲間内の話のごく一部がそこに出てきていたりする事もあるわけでして・・・
ま、でもね、そんな流れや気分のときもあるんですよ。いくら会社を一歩出ると大きめのシルバーの指輪を全部で5つくらいつけていたり、モヒカン刈りだったり、日に焼けて浅黒かったり、「俺はネオンじゃなくお天道様で明るい街は苦手なんだ」とか言って日中の外出にはサングラスを手放さなかったり、帰りの電車の窓に映った自分の顔を見つつ「こんな怖いヤツが隣に立ってたら嫌だな。自分自身だから我慢するけど」とか訳の解らん事を言ったりしていても実は温厚な私、でも(笑