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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

カバンの中からPOKENが出てきた

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正確に言うとカバンの中に入れていた、ケーブルやSDやCFカードなどのリーダー、そしてケータイの充電用ACアダプター等を入れているポーチみたいなヤツ。そこにPOKENを入れたままだったのを、ふと思い出しました。そういえば随分と長い間、手に触れる事すらしなかったな・・・と。

 

何気に一部で騒がれつつ、なんだかす~っと多くの人の関心の対象から消えていった気が

確かにそれなりに面白かったのですが、そもそも自分と相対する人がPOKENを持っていないと始まらない。これ、かなりハードルが高いわけです。何しろ、持ってるのを知ってる人とは既に今更POKEN出して「ハイフォー」なんてやっても、アホなことやってるだけ以上の意味はありません。なにしろ、いわば名刺代わりに使うべきもの=初対面であることが最大の効果を発揮するものですから。

ってことで、気が付くとなんだか存在自体も殆ど忘れていた状況でした。

 

名刺交換を電子的あるいは機械的な手段に置き換えることの難しさ

名刺はある意味、物理的な人間としてのその人とと、その人と会ったり話をしたりした記憶を繋ぐブリッジのようなもの(そこまで大袈裟か?)なんじゃないかと思ったりします。

実際のところ、たとえば名刺をスキャンして文字情報だけをPCなり何なりのアドレス帳にもって言った場合、気が付くとその人がどんな人で、何の話をしたのかってのがどこかでアヤフヤになるんですね。

一方、名刺の束を漁ってると、名刺を見てるだけで何を話したとかどこで会ったとかっていうのが思い出せることがあります。少なくとも、アドレス帳の一覧で見るのとは明らかに違います。私の場合には。ということで、目の前の仕事の山からの逃避願望の発露として、時々名刺の山を整理したりして過去の思い出に浸ったりしていてですね・・・

 

紙媒体としての名刺には、紙であって欲しい理由が私にはある、ってことですね。

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