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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

情報の裏を取るというコトの重要性

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何にしろ、何か行動を起こす前にはそれに対応するための情報が必要になるわけです。これは報道などの立ち位置の議論の中でよく言われる話ですが、それらの個々の情報がその情報の発生源にどれだけ近いところから出た物なのかを判断する事、そして判断できる事ではないかと思うんです。

で、ここからは日本語にするとちょっと面倒くさいのですが、たとえば英語の世界で言うInformationとIntelligenceというのは随分と違う概念です。日本語で言うと両者とも「情報」となるのですが、「生の情報」と、何かしらの条件や状況により検討された後の「情報」とは質が違うわけです。

で、たとえば、「裏を取った情報」はIntelligenceと呼ばれるものの部類になるんじゃないかと。そして、ココがとても大事。

 

情報の裏を取るなら、まず出所をあたる

これは当然です。よく「業界筋」とか「関係者」と呼ばれるところが情報の出所であれば、これはそれを誰が伝えているのか、誰から伝わってきたのかということをキチンと見る必要があるわけですね。たとえば何らかの製品やサービス、あるいは企業や行政の動向など、どういった種類のものであっても同じだと思います。

最近いわゆるリークと呼ばれるものがどうなのよ?という議論がなされていたケースがありましたが、リークする側にはそれなりの意図があって行うわけで、不用意に飲み屋やエレベーターの中での会話が漏れたとしてもそれは一般的に言われる「意図的なリーク」とは異なり、単純な「情報漏洩」になるわけで、質が違います。

いずれにせよ、情報として流通してる内容はそれとして、その情報が何故その時期に流れているのか、好意的な意図があるのか、恣意的なのか、あるいは悪意があるのかなどを含めて眺める必要がある、というのは正にはじめの一歩、と言う感じでしょうか。

 

情報の裏を取るなら、次に誰が言ってるのかをあたる

何も無いところには煙は立たないわけで、必ず何かしらの話がどこかしらで流れている。TwitterのTLで見かけた呟きの中に「新聞沙汰にするぞという脅し文句が通用するうちは、新聞はそれなりの地位があるのかもね」的なものがありました。それに対して「Twitterでつぶやくぞ」という脅し文句を言う、あるいは言われるような状況に私自身が遭遇した事も、更にはそれを見たことも余り無いのですが、とりあえず新聞や雑誌はその名前において、あるいはその出版元の名においてそれを言うというコトでの社会的なポジションがあるからそれが通用するわけで、偽名でも何でもOKのTwitterや、ある意味閉じた世界としての一般的なSNSでは余り通用しないような気はします。

もちろん、閉じた世界のなかに関係者がひしめくようなSNSの世界やなんらかの裏サイトと呼ばれるような世界ではありえるかもしれません。ただ、それが社会的、あるいは業界的な何らかの発言力を持つことはとても難しいんじゃないかと思っています。

これが実は私のCGMあるいはソーシャルメディア万能論みたいなのに対する懐疑的な部分なのですが、それはそれとして・・・

とにかくその情報を誰が伝えているのか、そして誰が言っているのかというのを押さえないと、単なる流言飛語に踊らされていると言われても反論できなくなる訳です。頃合が難しい話ではあるのですが。

 

情報を取るなら、自分のアンテナは大きく広げていないといけないという当たり前の事実

TwitterでもTumblrでもどこかのSNSでも、そしてニュースサイトでも何でも良いはずです。でもそれらだけではなく、既に守旧勢力とある部分みなされている新聞、雑誌、テレビといった媒体も棄てる必要は無いと思います。旧来のメディアからは有効な情報は得られないから駄目じゃん論が盛んなのですが、よくよく考えると放送時間や紙面の大きさに縛られている既存のメディアよりも、いわゆるネット上の情報なんてその規模からすると圧倒的に有効とは思えない情報が流れてておかしくないわけです。

もちろん情報の有効性は受け手が判断することなので、私にとって有効な情報が他の方にとって無用の長物であっても当たり前なのですが、比率はどうであれ量としては圧倒的に多いよね?と思っています。

ただ、いずれにせよ思いもしないところから何かしら探していた情報自体、あるいはそれに繋がる情報が手に入ることは普通にあるわけで、だからこそ自分で情報の入手源を絞ってしまってはいけない。絶対にだめ。もし、何らかの情報に対してある一定の感度を持ち続けたいと思うのであれば、ですけど。

逆に言うと、その流れから距離を置いて自分なりにやるよ、というのも否定するものではありません。ただ、貧乏性の私にとってはそれは無理なんですけど。

 

でも絶対に忘れてはいけないのは、人と直接話をすること

PCなりケータイなり、それが別にiPhoneでも何でも良いのですが、画面の中だけの情報に頼る事だけは絶対に駄目、という事を私自身は肝に銘じています。もちろん、人と直接話をすることが万能ではありません。限られた私の人生の中で、世の中の全ての人と意見を交わす事なんて出来ませんから。その部分は殆ど何らかの紙面や画面から得られる文字なり動画なり何なりといった情報に頼らざるを得ません。

でも、それと同じくらい重要なのは、やっぱりFace to Faceの部分。仕事上の関係で関与するミーティングもありますし、単に仲の良い友人と飲む酒の席もありますし、たとえば会社の自分の席の周囲の人やタバコのコーナーで顔を合わせた人との話しもあります。

それぞれの人がそれぞれの意見を持っているのは当然なのですが、その思い度合いや勢いっていうのは文字からは絶対に伝わりません。ただ、一度でもその人と話をすると、その後にその人が書いたメールなりブログなりを読むと、その話っぷりがそのままソコに投影されるので、とても判りやすい。

 

情報が入手できる経路を自分で絞らずに基本的には全方位から集めて、自分の中で取捨選択する。正直な話、他の方から「コレ良いよ」とか的な話っていうのはシニカルに受け止めがちな私ですが、それでもそういう話自体を聞かないと知らなかったかもしれない。その時点で接する話はInformationというレベルのもの。それに対して「ふ~ん」という反応は既に頭の中を一度経由しているので、これはひょっとしたら既にある意味Intelligenceというレベルになっているのかもしれません。

まぁ、問題は、その反応が自分の次の何らかの思考や行動のために役に立つか・・・ いや、そうじゃなくて役に立てる事ができるのかと言うところですね。もっとも頭の中でスクリーニングをかけた結果、「これは無用な情報だから忘れよう」という行動ができるのが生き物としての人間の特徴ですし。それもIntelligence。

 

でも、そこまで毎日考えて生きてるの?

いや、そんな事ないです。もっとダラダラしてます。でも、モノゴトをツラツラ眺めながら、「コレって何でこうなってるの?」とか「これって何でこうなっちゃってるの?」、あるいは「コレをどうやって伝えればよいの?」などなど・・・

そんな風に考えて、情報の裏を取るという行為は止めちゃいけないよねと、改めて思い直す事が多い今日この頃です。

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