「アホな知ったかぶり」という立ち位置
<このエントリーは私自身の持つtumblrのスペースに書いたものを加筆修正したものです>
文字で書き、あるいは話を通じて誰かに何かを説明する、というのは常に相対的なものなので、一概にこうすればよいという話をするのはとても難しい仕事です。もちろんコミュニケーションの基本として、相手に伝わらないと意味を成さないので、どこかでオトシドコロを探りつつ。
説明しなれているかどうか
かれこれ20年以上にもわたってプレゼンテーションという行為をある意味本業とする自分自身がどうしているか。素直にネタをバラすと、実は頭の中で ひたすらシミュレーションをしてるわけです。同じようなことをする人が多分星の数ほど居るだろうから「それがどうした」という話になるかもしれないけれど、事実そうやっています。ただ、その具体的な方法については余り人と話をしたことが無いので、他の人がどうしてるかを具体的にはよく知りません。
で、ワタシの場合はどうやるのか?単語、言い回し、ネタなどなどをブツギリで頭の中で繰り返し説明するんです。エレベーターで一人になった時、電車の中でボーっとしてる時、トイレの個室で孤独に浸っている時・・・ 貧乏性だといわれるとそれまでなのだけれど、とにかく頭の中で説明する。反芻するように説明する。別に正解はないし、ある対象に対する説明が他にそのまま出来るとも限らない。でも説明するべきものは同じ。だからバリエーションは無限。反芻回数も無限。そうやって、色んな表現を頭の中に擦り込む。
でもアホなので、大抵の場合はしばらくすると忘れちゃいます。そりゃそうだ。だって考えるべき事は次から次に現れるんだし。
引き出しの奥から表現が出てくるとき
文字にしろ、話にしろ、誰かと何かを話しているとき、その文脈やら位置づけやら、あるいはその時点の立ち位置次第、もちろん相手と相対しているときにはその反応を見ていると、流れで自然に色んな表現が出てくるんです。
もちろん自分の強いところ弱いところはあるし、それ以前にネタの出し方を間違い、結果的に説明しきれなくて全然駄目なこともあります。悪いのはお題ではなくて、料理の方法。そうすると、また頭の中で反芻が始まる訳です。
でもやっぱりアホなので、大抵の場合またしばらくすると忘れちゃいます。でも、また次のチャンスで、話の流れでふっとそれらの表現方法のどれかが出てくる。頻繁に喋ってる と、頻繁に書いていると、だんだんこなれてくる。だんだん自分の言葉になってくる。嘘はダメですが、ある程度のハッタリなら自信を持って披露する事も余裕で出来るようになる。
でも、でもやっぱりアホなので、大抵の場合しばらくするとやっぱり忘れちゃいます。
でも、この段階まで来ると、あまり失敗はしない。
アホな知ったかぶり
そして仕上げは表現方法。もちろん「オーソリティとはワタシのことです」と突っ張る必要があるときはもちろんそうするけど、そうじゃないときには「いや、とりあえずアホなワタシはこう考えてるんですけどね。でも違うかも」みたいな表現をするってのをスタイルの中に取り入れちゃってるのが、多分自分の ちょっと卑怯なところかもしれません。
でも、これって、プロとしての演出方法のひとつ、なんです。
冷静に考えると、プレゼンテーションのプロを20年もやってます。セミナーであったり、展示会の中でのプレゼンテーションだったり、もちろん個別の案件の中でのお話だったり。
で、それだけではないけれど、少なくともそれで給料の有る部分は頂いている訳です。そういった中での、色んな活動の中での自分の果たすべき役割やこういうことをやっている意味は百も承知しているわけです。
もちろん、だからといってワタシ自身は何でも知っている超頭イイって人でも無ければ、色んな動きをコントロールするほどの権限も能力もなくて、どちらかというとどうしようもない部類の中核を構成する類なものなので、場の流れによってはアホな知ったかぶりをしたほうが色んな人が幸せになれることが多いらしい、というか多い気がしたりもします。ワタシの立ち位置と役割の場合。
でももちろん、知らないことは本当に知りませんから、この部分は知らないと素直になります。知らないことに対して知ったかぶりをしたあとの落とし前をつけるのは大変だということは、長い人生でイヤというほど経験してますし。
ま、その程度のモンですよ。