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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

現場感覚がなくなると「残念」

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まぁ普通に生活していると薪で火を熾すなんて場面にそれほど出くわすわけではありません。ある意味、経験があるほうが少ないかもしれない。たとえばお爺ちゃんとかから「昔は風呂は薪で沸かしたんだよ」なんて話を聞くくらいで、実際にそんな場面はあまり無いと思います。バーベキューが趣味であれば別ですが、でも油断してると・・・

 

火ってどうやって熾すんだ?

いきなりここから問題です。条件次第ですが、手ぶらの状態で火を熾せといわれるとこれは確かにハードルが高い。ということで、新聞紙とマッチかライターくらいはOKとしましょう。でもここで新聞紙を丸めて薪をそのまま組んで火をつけても何も起きません。単に新聞紙が灰になり、薪が少しだけ焦げるだけです。多分誰も何も言わないと、最初に突き当たる壁ですね。で、実際には薪を先ず鉈(ナタ)で切り分けて焚き付けを作る作業が入るわけですが、そもそも鉈なんて普段手にしませんから、いきなり薪を叩き割ろうとして大変なことになったりもします。危険ですから決してやってはいけません。

もちろん、薪が十分に乾いていないとか、雨が降ってる中でどうするよとか更に応用編があるわけですが、まぁそれはそれ。でも基本的な事を知ってないといけない。更に知ってるだけではなくて、ある程度自分でやったことが無いと現場の状況に対応できない。

ということで、先ず本番に入るために学ばなくてはいけない事があるわけです。

 

カマドと薪はちょっと極端ですが

知ってて損はしない知識のひとつかもしれません。でも、万が一そんな場に遭遇したとき、そんな必要が起きたとき、とりあえず彼女や家族、あるいは友人の前で少しはカッコを付けることはできるかもしれません。ただ、耳学問や文字からの知識だけだとやっぱり実用には耐えないので、とにかく一度は触ってみる、という感覚が必要じゃないかと個人的には信じています。

 

現場感覚がなくなると「残念」

これをワタシは現場感覚と言っています。歳も歳なので、一事が万事自分でやる必要が無い場面が少しずつ出てきましたが、誰かに指示したりお願いしたり、あるいは意見を求められたときに自分で触ったことや関連するなんらかの経験が無いと、どうしても説得力が無くなるというのを感じています。もちろん若造の頃は「一度くらい自分でやれば苦労が解るんだよ。まったくこのワガママ親父はさぁ!」と先輩を心の中で非難しつつ、あるいは深夜誰もいなくなった会社で一人で残っているときにゴミ箱を蹴っ飛ばしたりしつつ表面上はニコヤカに頼まれたことを(それなりには)こなしていた訳ですが、その頃はどちらかというと指示されて動く立場。

じゃぁ今はどうかというと、残念ながら指示だけして後は待ってるっていう立場ではありませんから基本的には変わらないのですけど、それでも誰かに指示する場面、あるいは誰かに依頼する場面は増えました。そうなったとき、ふと自分の頭を掠めること。それは・・・

 

ワタシはその内容と実態を本当に理解しているのか?

いや、もちろん世の中のすべての事を自分で理解できるはずもありません。むしろできないことのほうが多い。だからこそ誰かを頼るわけですが、最低限自分がお願いしたことの評価をできるくらいの知識や経験が無いとどうしようもない。かつて自分に仕事を頼んだ人に対して悪態をついたような状況が自分に対してどこかで起きても仕方ない。

もちろん状況によっては当然そんな風に槍玉にあがってるんだとは思うのですが、最低限きちんと理解した上で頼み、結果をきちんと把握し、理解し、評価できるようになっていたい、とは思います。

努力目標ではありますが。

 

もう一度薪と鉈の問題に戻ると

一度ならず自分の事として経験していれば、アドバイスにも違いが出るわけです。あるいは経験としてある場に居合わせているという感覚が、当事者感覚だと思います。もちろんその場その場で内容は変わるものですが、とりあえず結果が出るようなアドバイスというものをやり易くなるとは思います。薪と鉈について言うと私の場合には幸か不幸か最低限マッチと新聞紙が一枚あれば大抵何とかなるんですが、それを初めてやろうとする人に的確にアドバイスできるかどうか。でも先人から見ると自分も初心者だったりするわけですし、経緯まで含めて全部を知っているわけではない。

でも、それでも、表面上の知識や理解ではなく、肌で知っている感覚、というものが無いと物事を変な方向に進めてしまうことがあるんじゃないかなと思ったりします。それは残念です。

じゃぁ、どこまで何をどう理解していれば良いのか?難しい問題ですけどね。

 

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