クラウドコンピューティングについての心の中の雲が晴れない
今日は世界ICTサミットの1日目に行ってきました。午前中のパネルディスカッションのセッション 1 「クラウドコンピューティングの台頭」モデレーターを担当されていた日経新聞社の関口 和一さんによると、申し込みの倍率はどうやら10倍位だったそうです。いや、ありがたい。
クラウドコンピューティングは確かに台頭している・・・んだろうな
正直自分がいわゆるITではなく通信業界、かつITの世界で言うとエンドユーザーの立場に身をおいているので、その具体的な動きが目に見えるかというとちょっと微妙な立場になります。もちろん仕事を通じて「何かをつなぐ」お手伝いをしているわけですから、用途の変化やお客様のニーズの変化は感じることが出来るのですが、なんとなく「どうなんだろうねぇ?」と流れを川原の土手から眺めている風ではあります。
もちろんニーズは良くわかります。オンデマンドで必要なリソースを使えるようにする仕組みについても理解できます。ただ・・・、20数年前に新入社員として入社したIBMで、当時の名称で言うと情報通信サービス事業部、その前はデータセンター営業部といっていた、リモートコンピューティングサービスの部門に居た私にとって、受託計算とプロセッサーの時間貸しの世界と根本のところではあまり変わらんなぁというのが正直な感想です。
何をわけのわからんことを言ってる?いや、当時の受託計算ってそもそものシステム化の企画からプログラミング、そして実際の処理まで全部やってたんですよね。しかも・・・
いまだに思い出すのが「処理のピーク時をカバーできる能力を持つ必要はありません」のくだり
当時、プロセッサーは非常に高価なものでした。たとえばいわゆる業務系での月次処理とかで必要なピーク性能をカバーできるプロセッサーを買うことが出来ない場合や、そもそもコンピュータシステムを運営することを良しとしないような環境においては、そのピーク分の処理、あるいは全部を私たちのデータセンターにお任せください、ということを営業品目にしていたわけです。
そうは言ってもワタシが社会人になった1980年代半ばにはすでにオフコンやら何やらが普及し始めていましたから、データセンターでの処理もある程度限られてきていたのは事実ですが、いまだになくならない。そもそもデータセンターのニーズは無くならない訳です。それが言い方を変え、微妙にやることも変わりつつ、やっぱり脈々と生きている、その流れを今はクラウドコンピューティングと言っているんじゃないかと思ったりもします。
ま、クラウドコンピューティングという概念はもっと違うんだという議論はそれはそれで全然受け入れちゃうんですけど。
ただ、その前にあった超並列やグリッドと同じ問題を抱えている気がする・・・んです
プロセッサー内部やローカルのネットワークで話が済んでいる間は何とかなる。でも、商用ネットワークが絡んでくると、すぐにその時代のネットワークサービスの限界を超えれなくなるわけです。
もちろん、そのためのネットワークをサービス提供側が用意できていれば何も問題は無いのですけれど、そんな状況は世界中どこを見ても存在しないわけです。そこは冷静に見なくてはいけない。事はアプリケーションのプログラミングやOSの話だけでは済まないんですね。すぐに社会インフラ全体の話になるわけです。
じゃ、どうなるの?
そこを冷静に見ないと、なんだかいろんなモノに対して非常に美しい誤解をしてしまう気がします。もちろん、夢が無いと何のイノベーションも生まれないんですけど。