モノには適材適所があるもの
どんなモノも作る時点で作り手は何かしら一定の使われ方を想定するわけです。結果的にそれとはまったく違うところで評価されたり、まったく違う使われ方をするモノもあるとはいえ、基本的には何かしら一定の枠があるものです。よってもって、それを超えた理解(というか誤解)をされてしまうと、作った人、使う人、そして使われるモノの全てが不幸になってしまう事もあるんじゃないかと思います。
Netbookを取り巻く現状と課題
Netbookと呼ばれるカテゴリーの製品。カタチもパッと見の使われ方も普通のNotePCと同じようなもの。しかも有難い事に安い。更にしかも、通信系の製品とのカップリング(抱き合わせというと御幣がありますが)されると、モノによってはとりあえずは100円玉一個で買えたりするわけです。もちろん通信費やら何やらを冷静に計算すると微妙に通信系の製品の縛りの期間満了時の前に普通に買う場合と比較した損益分岐点が来たりするのですが、まぁ、それは置いといて・・・ とりあえず店頭に並んでいるわけです。でも、ちょっと冷静に考えてみるとですね・・・
無理しちゃいけません。ある意味OLPC(いわゆる100ドルPCですね)と同じような氏素性を持ってて、要はInternetに接続してメールやWebサイトの閲覧が出来る非常に安価なNotePCというカテゴリーのものな訳です。ある意味何年か前の現役NotePCと同じくらいのパフォーマンスは持っていたりしますが、そもそも今の最新のOSを入れたりするとそれなりに無理がくるわけです。
でもそれを安価に手に入る最新のNotePCだと思ってしまうと悲しいことになるわけで
穿った見方をすると、たとえば普通に買って10万とか20万円するNotePCと同じ性能が例えば市場価格で5万くらいで手に入るわけがないと考えないと、悲しいことになるんじゃないかと思います。設計された意図、そして自分の用途に合うかどうかをキチンと考えた上で買わないと、何だこいつ?みたいな失望を生むことになっちゃうんだろうなと思います。
別に誰の肩を持つ訳ではないですが、本来の意図を誤解されて評価を落とされてしまうというのでは、モノの作り手としてはちょっと悲しいんじゃないかと、ふと思ってしまいます。
因みにワタシ自身はそれでもNetbookが欲しかったりするのですが
この「Netbook」というカテゴリーの製品が無かった頃、正にNetbookの存在目的と同じ目的(Webサイトの閲覧と簡単な文章作成)のためにSmartPhoneを手に入れたワタシですが、キーボードの小ささと画面の小ささに閉口しているのが現状。キーボードについてはともかく、画面については進行しつつある老眼が全ての元凶で、数年前なら満員電車の中で目の前10センチに掲げたケータイでメールを苦も無く打てたのですが、今は自然と40センチくらい離さないとまったく文字が認識できません。
その意味ではNetbookであればそれなりにまともなキーボードもあるし、画面も9インチとか10インチと、それなりにワタシにも文字を認識できるサイズです。ただ、このサイズでは電車の中で立ったまま使うとカナリ変な人になります。そもそも相当アクロバティックな持ち方をしないとまともに文字を打てそうにありません。それはちょっとイヤです。
ということで、電脳コイルに出てきた「電脳メガネ(Wikipedia参照)」が欲しくなってくるのですが、設定が202x年というストーリーですから、その頃は明らかに電脳メガネというよりは電脳老眼鏡のほうがワタシには合ってるかもしれません orz