中吊りを見ただけで景気動向が判った気になってしまう?
普段電車で通勤していワタシ。先日中吊りを見ただけで週刊誌を読んだ気になってはいけないというエントリーを書いたのですが、改めて気づいたのが東京メトロで自社広告が増えているという事実。でも、これって見覚えがあります。いつ?いや、バブル崩壊の後の頃の話です。
やはり景気のバロメーターという側面がある中吊り
何かしらキャンペーンを張る場合には当然メディアを選び、投下金額と露出量の関係を踏まえた上で消費者あるいやユーザーの目に触れるという結果となるのですが、はやり景気が良くないとどうしても広告の出稿量が減るのはどうしようもないこと。もちろん単純に露出が減ることによるダメージというのはありますし、それが長い目で見てよいのかどうかという議論はありますが、企業の中でのコストの分配のなかで手がつけやすいからこその変化があるのは致し方ないところです。
今であれば新聞や雑誌が薄くなってきたり、テレビのCMが全体として減ったりするという状況があるわけですが、毎朝電車で通勤するなかで気が付いた中吊りの変化。明らかに鉄道会社の関連広告が増えています。
バブル崩壊直後の歯抜けになった中吊り
今でもよく覚えています。1990年代半ばに宣伝部門に居たことがあるワタシの場合、まだ復調しきらない経済状況の中、ある程度まとまった予算を任されていたなかで紙面や誌面、テレビのスポット、そして交通広告関係についてかなり楽に掲載や露出の機会を確保することが出来た記憶があります。でも、その前の段階、それこそ1990年初頭などは街中から一気に広告露出が減り、たとえば電車の中吊りについても鉄道関係の会社の広告では埋めきれずに歯抜けになってしまっていた状況というのはよく覚えています。
今はソコまでは行っていないようですが、微妙に網棚の上とか車両の両端の連結ドアの上辺りでの空きに気が付くことがあります。これは先のエントリーに触れた見出しや雑誌の記事以上に目に見えます。
中吊りが減ってる。とりもなおさず、出稿量が減っていると言うことなのだろうなと。
もちろんラッピングやジャックもありますが
電車一編成丸ごとあるキャンペーンで中吊りを埋めるとかはもちろん今でも見かけますが、雑誌自体がどんどん休刊したり、企業の活動もなんだか内向きなったりと、色々な理由が絡まり、ある意味社会のひとつの窓としての中吊りの状況が変化してるということかと思ったりします。