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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

二次元と三次元の狭間で起きること

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昨日のエントリーでフレッシュプリキュア!の話を書きましたが、実は私、それほどアニメを見ません。ついでに言うと漫画は殆ど読みません。コレは自分の趣味なのでどうでもよい話なのですが、当然その世界がとても好きな方は一杯居るわけです。でも、ソコに入り込みすぎると・・・

 

イベント屋が三次元が好きじゃないといってしまうと商売にならない

当然といえば当然ですが、イベントの現場は三次元です。高さも奥行きも幅もあります。その空間の中で何をどう表現するのかというのが勝負なワケです が、たとえばWebの世界だと、これが二次元になるわけです。3Dのグラフィックがあるだろ?とかメタパースの世界が云々とか色々とご意見があるとは思い ますが、仮想の空間は所詮仮想で物理的にその中に入り込むことは出来ませんから、ワタシ的な分類で言うとどこまで行っても二次元とかなり乱暴な分類をして います。

そこで表現されている遠近感の話は理解できますし、そのための技法なり何なりと言うのも理解できますが、とりあえず乱暴に物理的なものが平面なんで、とりあえずココではそれを二次元空間と分類しておきます。

でも、そんなワタシの思い込みとは別に二次元に本気で入れ込んでしまうと、ちょっと面倒くさいことになるようです。

 

デッサンのモデルを見てるうちに気持ち悪くなる・・・?!いや、正直理解しづらいものです。頭の旧い奴のたわごとかもしれませんが、なんだか理解しづらいです。挙句、目の前の実体ではなく全く別のアニメのキャラのようなデッサンを書き上げる人までいるとのこと。

なんだかなぁ

 

心理学的にどうだとかは判りませんが

一種空間認知という部分で何かが間違っている気がします。ただそんな気がするのはワタシの評価軸での印象なので、本当はそうではないのかもしれません。でも、ちょっと違和感。でも、でも・・・

 

ココまで来て、ちょっと自分の空間認知の方法のひとつを考えてみました。

何度もエントリーに書いていますが、カタログ収集癖のあるワタシの場合、気が付くと何かしらのカタログを眺めてそれを手に入れた感覚になることが比較的容易です。もちろんカタログだけでケリが付くのではなく、カタログの横にある実物、たとえばそれがカメラだったりPCだったりするわけで、それに触れた実体験をカタログの写真などから想像しなおすというようなプロセスを経て二次元の写真から三次元の物体を認識している・・・ような気がします。

これがたとえば自分が撮った写真に置き換えるともう少し判りやすいのかもしれません。写真を撮った場所の空気感や写したものの実体感がベースにあり、それを二次元の写真に切り取っているわけですから、見ているもの自体は二次元だけに存在しているわけではないわけです。

 

アニメや漫画はそもそもが二次元でしか存在していない

どんなに遠近感があるものでも所詮二次元空間に表現されるものは二次元空間にしか存在していなくて、そこに遠近感があってもちょっとなんだか違う・・・気がしています。重ね重ね乱暴な分類であることは承知の上ですが。で、昨日のエントリーで書いたモーションキャプチャリングした素材から起こしたCGとかだと、ある意味奥行きのある立体空間を切り取って演出をし直したみたいに見えるので、遠近感や動きの自然さに驚いたわけです。

いずれにせよ、ソコに表現されているのはいわゆるリアリティの評価は別として、例えば実際の人間とは異なる「人間のような何か」が表現されているわけじゃないかと思うんです。
なんだか理屈っぽいですけど。

 

で、何が言いたいかというと、三次元の人間を静止できない状況すら生まれているという問題

実はココまでクドクド書いた二次元と三次元の認知と理解の仕方がマズイ訳ではなく、ソコに慣れ親しみすぎて実体としての人間と接することに問題があるケースが存在していることですね。それが結果として「人間のモデルをデッサンしていると実体感を租借できずに気持ち悪くなってしまう」・・・ なんだかもう、よく判りません。

何たら工学とか、何たら心理学の世界ではそれを何かしらの状況として命名されているのかもしれませんが、残念ながら全く専門外なので、これもよく判りません。

一応三次元空間全体の中での表現(もちろんパネルとかは二次元ですが)をある意味生業としているワタシ、アニメや漫画をそれほど真剣に見ないワタシには、よく判りません。

ただ、現実にそういう状況が存在するということ、に素直に驚いた次第です。

 

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