Macworldの終わりの始まりについてのイベントマーケティング屋としての考察
既に報道されている通り、来年のMacworldにSteve Jobsは出てこないし、Appleとしても最後にするとの事。イベントについてIT系企業の多くが通って来た道ですが、Appleもようやくここまで来たかと言う感じです。
業界全般イベントなんてとっくに駄目になっていますが
COMDEXの盛衰を引き合いに出すまでも無く、海外でもIT業界全般をカバーするイベントというのはここ10年くらいでもう殆ど興行的に成り立たなくなっています。それから逃げた出展社のうち、体力のあるところは自社主催、つまりプライベートでイベントをやってきたわけですが、その多くが展示会を主体としたイベントからセミナーやカンファレンス主体に移ってくるなど、規模や内容が大きく変化してきています。
まずは業界がその方法、つまりイベントと言うものをどういう風にとらえるか、ナニを目的とするのかの変化ですが、逆に売り物がかつてのハードウェア主体からソフトウェアやサービスの割合が増えるにしたがって、いわゆる展示会に馴染まなくなってきた事も大きいと思います。少なくともその流れにずっと乗っかってきた私自身が肌身で感じてきた事です。
でもプライベートイベントってどうなんだろう?
イベント自体を興行、あるいはエンターテイメントとして捉えることが出来る余裕があるうちは、色々な仕掛けをやってきたのは事実だと思います。これを言うといろんな方からネガティブなコメントがあるかもしれませんが、ある一定以上の規模のイベントの場合、直接的な売り上げ云々への貢献などについての効果測定は事実上不可能になります。結果的に、そのイベントが企業の売り上げ全体にどれくらい寄与したかと言うところでしか捉えられなくなります。
もちろん、個別にご招待したお客様からどれくらいの売り上げがあったかというのを追いかけることは不可能ではないですが、ある一定以上の規模のイベントだと、個々のケースに対する効果測定は非常に難しくなります。よってもって、グロスで効果測定をすることになります。
これが厳密にマーケティング的に許されることなのかというのは立場によると思いますが、いずれにせよ、ある一定以上の規模のイベントはどこかでパブリシティ活動の一環として位置づける以外になくなるのは事実だと思います。
じゃ冠イベントってどうなんだろう?
Macworld というのは一種の冠イベントです。主催者は別に居るのですが、その冠スポンサーとして単一もしくはいくつかの特定の企業が頭につく。Windowsほにゃららとかもその例ですね。日本では1990年代後半から2000年前後までそういうイベントの企画が目白押しで、当時私もいくつかの冠イベントの企画の件を担当したことがあります。もちろん規模の大小はありますが、それもひとつの形。ただ、それをどこまで維持できるか。イベント単体では維持できないので、たとえば雑誌とかWebサイトなどとの連動でやるわけで、これ全体がひとつの興行と言えます。
ただ、最終的には、冠スポンサーがどこまでそれを支える意思を持つか、そのイベントに意味を見出せるか、そして最終的に維持できるだけの資力を持っているか。
Macworld からAppleが降りることの本当の理由は、おそらくひとつではないと思います。報道でもいくつかの理由がまことしやかに流れていますが、複合的な理由。でも、一番大きいのは、それらの理由を総合した結果、もうこのイベントを必要とはしていない、という結論が出たと言うことだと、岩永的には考えています。
でも、やっぱり裏側を少しだけ心配します
この規模のイベントだと、おそらくApple本社内に少なからず専任のスタッフが居たはずです。いや、流れですから仕方ないし、その人たちの心配をする義理も何も無いですが、私も少なからずそういう決定の場に居た経験もあるので、彼らがその決定を聞いたときの心中をお察しします・・・ と素直に思う私は、優しすぎなのかな?