なぜ日本の「学」は「産」に売り込まないんだろ?
ちょっと暴論すぎかもしれませんが、少し絡んでいるあるプロジェクトの会議のなかで、「なんで日本の「学」は「産」に売り込まないんだろう?」と素直に思ってしまったことがあります。いわゆる「産官学」という区分けの中の話なのですが・・・
私自身は、いわゆる「産」、つまり民間企業しか知りませんが
民間企業ですから、当然売り上げが無いとご飯が食べられません。当然売り物は買ってくれそうな人に売り込む、買ってもらうという姿勢が最初からはっきりとあります。もちろんパブリシティ的な動きもしますが、それとて最終的に何かを買ってもらうための活動の一環です。
学術目的での技術研究って、それで終わっていいの?
よくわかりませんが、いわゆる技術的な研究を色々な機関や大学が行っています。もちろんすべてが実用化を目指すようなものではなく、基礎研究に類するものもあるのは理解していますからそれはそれでよいのですが、たとえばxx大学xx研究室が最新のITや通信の技術を使ってこんなことができるという実験をやっています・・・的な話は一杯あるわけです。それを学会とかで発表したり、何らかの機会があれば展示や説明をしたりするわけですが・・・
あくまでも私見ですが
私自身、そういう場にこれまでも何度か居合わせる事があって、いまだにぬぐえない印象があるのが、「それをどうしたいの?それって儲かる話になるの?」ということです。そもそもそれを世の中に送り出して形にしたいという意欲を持った方に会った経験が殆どありません。私のつたない経験の話ですから仕方ないのかもしれませんが、なんだか興味の範囲と、たとえば学校や何らかの行政、あるいはスポンサー企業の支援で面白いことをやっているということだけが目立ってしまって、それが実社会のなかで実用化されて、それがどれほどのビジネスになるのかという事を意識している、あるいはそういう視点を持っているモノに出会ったことがありません。
もちろん、これは暴論ですが
何かしら世の中にモノを出したいとき、そこには役割として
- お金を出す
- 作る人
- 売る人
というのが最低限必要なわけです。それらが揃っていないと、残念ながらその「立派なモノ」や「すばらしい技術」は日の日の目を見ずに論文の山に埋もれていくしかない気がします。それはそれで良いというのなら余計なお世話なのですが、なんだか勿体無い。もっとちゃんと世の中に送り出そうよ、と素直に思ってしまいます。
まだまだ暴論ですが
営利を目的としない研究活動。営利を目的とするべきではない基礎研究。これはとても大事ですし、その意義は100%理解しています。
ですが、ですが、なんだか勿体無い。それこそ世に送り出すために資金を調達し、さらにリソースを投入できる形にして、本来あるべき姿(それがなんだかわかりませんが)を実現できるように努力したら、もっと面白くなるのになと思ったりします。
それをキチンとやれば、あなたが儲ける事ができるんじゃないんですか?とまでは言いませんが・・・
いや、別に私が何かを言ってもどうしようも無いのですが、なんだかそんな風に暴論が頭を駆け抜ける瞬間に遭遇してしまったもので・・・