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通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

ヒライケンジなプレゼンテーション

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プレゼンテーションは時と場所により手を変え品を変えやるものですが、話すお題が決まっていてもなかなか資料を作れないことがあります。今回は、社内でのとある件についてのプレゼンテーション。目的は説得。勝算はあるのですが、結構深い話をしなくてはいけない。さて、どうする?


今まで何回人前でプレゼンテーションしたのだろう?

IBM時代の一時期、期間で言うと4年から5年くらいはブリーフィングセンター(デモセンターの高級版っぽくしたもの)で話をするのが仕事でした。システムの企画から動かすまでを全部やっていましたが、それに加えてプレゼンテーション。一回あたり2時間を平均して1回くらい。多いときには3回くらいやっていた記憶があります。もともとIBMでは新入社員の時点からプレゼンテーションの訓練を受けていましたから、まぁどんなお題でも歩い程度自分が理解できていれば、どんな資料でも(ちょっと大袈裟)喋れといわれたら喋れるくらいの度胸はつきました。なにしろ営業活動の中での製品やソリューションのプレゼンテーション。勝負時間は例えば2時間。やり直しは効きません。これは非常に良い経験でした。


今まで何回社内でのプレゼンテーションをしたのだろう?

もちろんお客さま相手だけではなく、必要に応じて社内でのプレゼンテーションというのもあります。半分トラウマなのが、IBMでの営業時代に毎週、あるいは毎月、あるいは四半期ごとのレビューミーティングでコテンパンにやられてしまい、お客さまの前で喋るよりも純粋な「中の人」相手のプレゼンテーションの方が、ちょっと怖い、という感覚があります。まぁ、喋りだせば全然関係ないのですが、何となくそんな感覚。

でも、今の立場と状況だと、殆どのプレゼンテーションが社内向け。基本的には報告モードが殆どですが、たまーに説得モードで本気で喋らないといけないことが、もちろんあります。


話すお題は決まっているけれど、さて、どうやって資料を作る?

説得モードでのプレゼンテーションであれば、当然最初からお題は決まっています。出したい結論も、少なくとも方向は決まっている。でも全部口で喋るだけでは仕方ないから、説明のための資料は作ります。

そうやって始めるのですが、今回とりあげた案件については、どうやって資料を作れば良いのか途方に暮れてしまいました。一般論から現状の分析、最後は行動するべき方向についての同意を取るのが目的だったのですが、話の流れだけが頭をループして、絵にできない。そもそも、資料を作るには充分な時間が無い。

さて、どうしよう?


ヒライケンジなプレゼンテーション

そうだ。喋る言葉を全部書いてしまえ!

かなり強引ですが、どんな絵を書こうが、話の筋は決めているのだから、今回はその文字を全部書いてしまえばいいじゃないかという結論に達してしました。というか、それぞれのページで喋ることをpptで書き始めたら、なんだかそのまま言葉だけで突っ走ってしまえという気持ちになりました。

「これはどうしたらよいのか?」
「こうなってしまうと、これは正しいとはいえませんが、間違っているともいえません」
「そのなかでこれはこうするべきなのですが・・・」
「それは重い話なので」
「それをふまえつつ、こちらの件から手をつけて・・・」
「よってもって、そのためのチームを編成する必要があります」(これが結論)

もちろん詳しく書くわけには行きませんが、各ページにはこんな文字が躍るプレゼンテーションになりました。喋る言葉を全部書いたので、10分喋るために20ページ以上の資料になりました。このやり方を取ったのにはもちろん背景があって、参加者の基本的な問題意識が存在していて、そのベクトルを合わせるのが目的で、だからこそ図や絵がなくても状況の確認だけで一定の方向に議論を持ってゆける状況にあったからです。

文字だけのプレゼンテーション。まさにヒライケンジなプレゼンテーションです。


もちろんこれは邪道です(笑

私の話を受けたその後の議論の結果、結果的に所期の結果を得ることが出来たのは幸いでした。邪道は邪道なのですが、目的がはっきりしていて、ちゃんと考えた末に取るべき手段は「これだ!」と決めれば、あとはそれを信じてやってみるというのは、やっぱり大事だなとそれなりの満足感を得られたのは更に幸いでした。(単なる思い込み)


でも、実はお客さま向けのプレゼンテーションで同じような手法を時々使っていたりします

以前にも何度か書いていますが、時々イベントのナレーターコンパニオン用のプレゼンテーションを制作する事があります。大抵は絵も台本も全部自分で書くのですが、難しいことを簡単に説明しようとする際にある意味正しい、でもちゃんと説明が必要な絵を解説してもらうと大体失敗する気がします。それをブレイクダウンしてストーリーを作ろうとした時に、自然にナレーションの中のキーワードを並べる傾向があります。言ってみれば、そのキーワードをもう少し話し言葉にしたのが今回の資料かもしれません。

因みに昨年数回お客さまの前でのプレゼンテーションを私自身がやったのですが、その際の資料もよくよく考えるとそんな雰囲気の資料でした。文字が4行とかで1ページ。最初から画面だけで押し通すつもりで手元の資料は余り意識せずに作ってしまいました。聴いて頂いたお客さまも最初のうちはバラバラとページを捲っていたのですが、そのうち諦めて殆どの方が顔を上げていました。

終わった後で、「この資料では報告書が書けない」といったコメントをいただきましたが、解りやすさという意味では思っていたよりも高い評価を得られたのを良く覚えています。

目的を考えて手段を選ぶプレゼンテーション。

やっぱりヒライケンジなプレゼン資料というのは、邪道でしょうね。
喋っていてもある意味とても愉しかったですが (笑

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