人事部が決めたアサインメントに従う:サラリーマンなら当たり前?
おはようございます。
今朝も晴れ空の朝。
===ほぼ毎朝エッセー===
監査役の日報から:
私が昨年8月まで在籍していた会社で本日定例の 人事異動があり、私の部下だった部長が大阪の副部長に左遷になりました。奥さんと娘さんの三人家族で奥さんは某大手生保で管理職です。本人は53歳です。本人から連絡があり、これから飲みながら今後の相談に乗ります。人事異動は悲喜こもごもですが、今夜の酒は不味そうです。
人事部が決めたアサインメントに従う。
サラリーマンなら当たり前というところなのでしょう。なかなか飲み込めないことも多いわけです。やはり、人に運命を一方的に決められる辺りに納得感がありません。会社の中にはいいポジションと悪いポジションがある。いいポジションに行けた人は「出世した」と思い、そしていいポジションに行けなかった人は「左遷された」と思う。
考えてみると、私が起業した当時の大きい理由はそこにありました。自分だったら、日本組織の中でどこかのタイミングで変わり者だと嫌われ、いずれは人事に泣くだろうなと思っていたのです。そういう世界で長年、自分を隠しながら生きるのも嫌だと思ったのですね。だから、実際に会社を興してみて、人事も何もかも決める立ち場になりました。その結果、上記の人事に関する考え方は違うという気持ちにもなってきました。
会社をやってきて今、人事では、実際には次のことを考えています。
個々の人たちに、仕事を最大限に楽しんでもらいたい。活き活き、のびのびと働いてもらいたい。そのためには、実美ネスからどういう課題のチャレンジを創るか。それが、部署であり、そこでのポジションだったりします。ビジネスを最適に動かすために、人事が必要になってくるわけです。
いいポジションと悪いポジションはありません。必要な機能ばかりです。常日頃言っていますが、リーダーも役員も社長も、あくまでもその役割を仕事の中で担っているだけです。役職に高いも低いも無いです。だから私は、上司や部下という、いかにも上下関係を示唆する言葉が嫌いです。
つまり、人事で一喜一憂すること自体がとても不自然だと思っています。介護をする必要があるから第一線から潔く退き、それが終わったら華麗に復活して大活躍する。こういうことが自然にできるべきだと思うわけです。
メンバーが足りない業務の補てんも入社面接を実施しながら進めています。ところが、果たして十分な面接ができているのだろうかという疑問が付きまといます。
例えば、同じ人と面接したとしても、従来のe-Janだったら、まずはじっくり働いてもらって、本人にチャンスを獲得してもらう。そういうアプローチをしていたと思います。ところが、今だと、やはり怪しい傾向や雰囲気があると、それでお断りになってしまうのです。その人の一生に影響することなのかも知れません。それでいいのかどうか。
人事と面接。とても考えさせらえますね。