中国の20代で「仏系生活でいこうよ」なんて概念が流行っている
おはようございます。
今日はノマドワークデー。家から朝メです。
===ほぼ毎朝エッセー===
上海の高校から早稲田大学に留学し、ひょんなことからe-Janにいる、中国人のAさんの日報から引用させてもらいます。
===
[Good News/Appreciation Message]
最近中国の一部1990s生まれた人たちの中に「仏系生活でいこうよ」ということが流行っているようです。仏教を信じているかとかに関わらず、仏教徒のように生きていくという意味です。
例えば、人と接するとき、誤解されても、いじめられても、どうされてとしても、怒りません。会社で働くとき、仕事はきちんとやりますけど、出世や成功などを求めません。子育てのとき、親同士と、子供の比較はしません。子供にストレスをかけない、将来偉くなることとかも一切望んでいません。
仏教徒は本当にそう生活しているかとかはわかりませんが、このような生活を過ごしている若い人が増えてくるのは、いいことなのかよくないことなのか判断し難いですが、一人子が多くて、生まれてから競争社会で育ててきました中国の20代たちの中の一部の人たちがこうなるのは、面白い社会現象ではないかと考えています。
===
中国の若者で「仏系生活」なんて概念が流行っているのですね。
伝統的にアジアでの教育は「競争」をとても強く促しているように感じます。親が子供の教育に熱心だということもあるのでしょう。でもこれって、私にはちょっと疑問です。なぜならば、「競争」が成り立つからには、狭い概念の場での戦いが必要だからです。つまり、競争するには誰かが作ったルールで勝ち負けを判断する必要があるのです。人生はそんなに狭い場所で決まるものではないと思います。
中国での一人っ子政策が、競争という概念を弱めているのが面白いと思いました。日本での「ゆとり教育」も賛否両論はありますが、私は面白い現象が出ていると感じます。それは、スポーツなどでの競争に強い人たちが増えているということです。従来はメンタル的に弱かったと感じた日本人選手たちが、今はのびのびと勝っているのです。
競争をさせない教育をすると競争に強くなる。逆に、狭い場所のルールでの競争に慣れた人たちは、場が変わると脆弱になるということです。これって面白いです。
「多様性」が強いのは、head to headでの競争が起こりづらいからなのかもしれません。ネイティブの中国人にはどう頑張っても中国語で勝てるわけがありませんから。だから中国人と中国語で競争しようなどとは思わなくなるのです。その一方、自分の得意なことには、熱心に取り組めるわけです。すると一人ひとりが強くなる。多様性がある組織では、結果として、組織全体としての競争力が高まるわけです。
狭い部分での競争にとやかく言わない、ということで中国の若手で「仏系生活」が流行っているのであれば、それは広義には、とても強い競争力を生み出すことになっていくと思います。