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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

音楽とスポーツの違いから考える「ほめる」と「はげます」

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おはようございます。

5月です!曇り空の朝。15℃1015hPa@5.30am。

===ほぼ毎朝エッセー===

音楽とスポーツ、共通点が多いです。ともに:
・普段の生活とは違うことをする楽しみである。
・繰り返すことで体に覚え込ませることが必要である。
・上級の世界でストイックに追及しなければいけない面がある。
などなどです。

ところが今年に入って、サーキットや氷上で車のスポーツ走行をインストラクターに指導してもらったときに、思い切り違う一面が体験できたのです。それは、そこには大いに「ほめる」ことや「はげまし」があったのです。車の運転では「それ、うまいです!」が多いのです。で、先生との実力の違いは、走行タイムなどで明確に出ます。

一方、音楽ではあまり「ほめる」「はげます」というスタイルには出会えていないように思えるのです。限られた自分の周りの体験では、会社で皆でやる合唱には「ほめる」と「はげます」が多いと思います。初心者への指導には「ほめる」「はげます」もありうるのでしょう。ところが上級者が相手になると「ほめる」「はげます」が難しくなっていくように思えて仕方がありません。徒弟社会みたいなものでしょうか。

先日そんなことをうだうだと考えていたのですが、ふとキーワードが降ってきました。

「違いは『絶対的尺度』の有無になのではないか」と。

そう。スポーツには絶対的な尺度が存在しているのです。陸上はもとより、感性に重点があるフィギュアスケートにだって、厳密な点数制度があり、比較や競争ができるための絶対的尺度が用意されているのです。いや、スポーツには尺度が必須なのです。

一方、音楽にはその絶対的尺度が「まだ」ありません。カラオケの採点システムがそこへの試みだと考えますが、音楽一般ではその尺度は定着していません。絵とか造形作品だとかもそうですよね。やはり人の感性が中心になっています。聴く人が聴けばわかる、観る人が観ればわかる、の世界。

そこで思いついたのです。「ほめて伸ばす」ためには絶対的尺度が必須なのかもと。伸びていることが分かる、伸ばせたことが分かる、そういった尺度があれば、本人はより頑張ることもできるし、周りも「ほめる」ことや「はげます」ことがやりやすくなるわけです。

ふと我を振り返ってみて、反省したことがありました。それは会社での仕事への評価です。e-Janでは評価を定量化するために S A B C D という評価を次の6項目に対してするようにしています。これを加重平均して半期の査定を出しているのです。成果は他の項目の2.5倍の配分があります。
・"成果 Overall Result"
・"仕事の正確性 Preciseness"
・"勤怠 Attendance (DR accuracy & less sudden leave)"
・"チャレンジ(革新性)Challenges"
・"チームワーク Team efforts"
・"責任感 (当事者意識) Responsibility"

ところが、どうしても、本来定量的であるはずの仕事の結果に、感性が入り込む要素が大きいのです。ここで、音楽とスポーツの違いから生まれた仮説を鑑みてみると、定量化の方法にもう少し工夫があってもいいように思えてきました。

Peer Evaluationというような方法もあるでしょう。データを収集する入り口を多くし、感性を定量化するプロセスを集計に基づく効果があるでしょう。確実に言えることは、まだまだ、仕事の評価については工夫の余地がありそうです。そして、定量化のプロセスがより厳格にできるようになれば、「ほめる」ことや「はげます」ことが、多くなる文化が定着するのではないかと考えました。

まさに急がないけど重要なこと。多様性を重んじるのであれば、よりフェアな評価方法を開発して定着させる必要があります。違う分野にチャレンジするということには、自分が見えなくなっていることへの気づきを生んでくれるようです。

気づいたらどんどん変えていけばいい。それだけです。

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