「難しいかもしれません」って言われてしまった
おはようございます。
今日は冬至。冷え込みはありません。今日は最高気温が15℃とか?暖かそうです。この先、寒くなるのだろうけど日中の時間が長くなっていくと思うと不思議です。
===ほぼ毎朝エッセー===
「難しいかもしれません」
これってどういうときに言われるのだろうか。RさんのDR(Daily Report 日報)を読んでいてふと思いました。
以下引用==>
[Good News/Appreciation Message]
* 本日、G協会様のスタンバイ機ライセンスの注文書状況について販社様から今年度内では難しいかもしれないという連絡が入ってきました。G協会様から年内での発注はご了承いただきましたが、難しいというのは理解できないため、理由確認中です。最後まで諦めずに今年度内で受注できるよう頑張ってまいります。
<==以上引用終わり
図式としては、次のようなシチュエーションが目に浮かびます。
「課題」← [実現したい人] → [頼まれる人] → [やるべき・調整すべきこと]
この中で「頼まれる人」が発する言葉で、「実現したい人」が言われてしまう。「実現したい人」がアツくなればなるほど「頼まれる人」板挟みになって言ってしまう。意味合いとしては次のようなことでしょう。
・とりあえずは動いてみますが、多分できないと思いますよ。
・動いてみるけどシステムのせいで間に合わないかもしれませんね。
・ま、そんなにアツくなっても物事は変わらないですよ。
如何にも主体性が無くて、責任回避をしていて、都合のいい、かつ、仕事上では賢く聞こえるような言い回しだと思います。
では、自分が板挟みの状況に至ったら何と言うだろうか。
「困ったなぁ」
「どうなるかわからないねぇ」
「難しいかも」
「頑張ります!」
へっ?同じじゃん!
そう。板挟みというのはどういうシチュエーションにもあります。その中でどういう発言をするのかは、相手次第だったりします。
その相手の本気さが伝わってくると、何とか助けてあげたいと心が動いたりするもの。すると、自分も巻き込まれて本気スイッチが入る。
逆に言うと、もしかして相手の「難しいかもしれません」を引き出しているのは自分の姿勢とか気持ちなのかもしれませんね。