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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

「持って生まれた才能」ってなぜだか開花しづらい人生の皮肉

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おはようございます。

3℃@5am、それなりに冷え込んでいます。今日は20℃まで上がるとか。桜の開花が進みますね。

===ほぼ毎朝エッセー===

絵がうまい、歌がうまい、運動が得意、手が器用、数学が得意。

「持って生まれたもの」って確かにあります。人によってだいぶ違うので、「ずるい!」と感じることすらありますよね。ところが面白いもので、殆どの人はその「持って生まれたもの」とは違うことを生涯やり続けているような気がします。

それよりも明らかに後天的に備わった能力で生涯を切り抜けている。そしてそれが「持って生まれたもの」とは異なることはとても多い、いや、苦手意識を持っている方が伸びるというようなことすらあるようです。今朝はなぜそうなのかを考えてみましょう。

まず、「持って生まれたもの」、つまり多少の優位性があっても、それを鍛錬しなければ「モノにならない」という大原則があります。つまり、物事を深めるのには時間と繰り返しが必要であり、結果的にはそこに十分エネルギーをかけた場合、さらにに運が向くとそれがモノになります。

子供のころ成長の段階で好んで行ったことが自然と鍛錬になって基礎になっていたり、親が強制的にやらせていたり。あるいは、教えてくれた人の好き嫌いで、それが好きになって繰り返していたり。これらのことで自然と鍛錬ができていることも多いでしょう。それぞれに得意な分野がいつの間にか身についているということです。

一方、「持って生まれている」と思うから、鍛錬をバカ臭く思い、怠ってしまう罠も怖いです。自分は鍛錬が比較的少なくてもできてしまう、いや、それが自慢にすら思えてしまうという罠です。これは怖いもので、この手のことに捉われている人は残念ながら、全く伸びずにいて「いいものを持っているんだけどね...」と、様々な人にコメントを残させるだけです。

「持っていないから」と最初からあきらめている人もいます。人に見てもらうのが嫌だと、何もやらないでいる。すると、才能の開花などはない。でも、実はそこに「持って生まれた才能」がある場合も少なくない。これも、子供の頃に教えてくれた人の好き嫌いで、それが好きになるか嫌いになるかというやつですね。

結論的には、このような前提があることを踏まえたなかで、自分は何を開花させるのか、それをキメて、そこにエネルギーを注いでみる。すると、十分な鍛錬がある中で、運の風が吹くと、ふと、その分野で開花するのでしょう。だから、その分野が元々「持って生まれた才能」であることの方が、レアケースであるという皮肉的な現象になります。

つまり、「持って生まれた才能」の有無を気にするのではなく、「継続的に鍛錬する才能」というかなり後天的に身につけることができるメソッドを身につける方が、面白い人生を送ることができるということなのでしょう。

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