微細な時間と大きな時間
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おはようございます。
冬の冷え込みは今朝が最後との天気予報に励まされ、もう一度厚手のコートで出てみました。
===ほぼ毎朝エッセー===
今朝の日経新聞の「春秋」の欄に二つの時間ということが書いてありました。流れる時間と止まっている時間。そこからインスパイアされ、書きます。
地球は自転しながら公転していて、そのタイミングを一定の間隔で刻むと年月日や時間という概念が生まれて、時間という概念が誕生します。
一方、人が感じる時間の流れというものにはズレがあります。目の前のことに集中していると、あっというまに滑る。集中するっことが見つからないと、苦しいほどに流れない。時間の流れというのは実に不思議な体感だと思います。
そもそも時間の流れがあるのかということにも疑問があります。
4次元の世界からみれば、未来も過去も同時に存在するわけで、さらに、最新の物理学である超ひも理論からすればこの世の中は11次元だというのだから、時間が流れているというのは人間にとっての錯覚なのかも知れません。
レコードの溝に沿って針が時間をなぞっている。でも、レコードは全体として同時に存在している。ただ、人は時間をなぞってしか認識できないだけ。だから、たまには目の前のことから離れて、鳥瞰図的に周りを眺める必要があるのでしょう。
そのために、日ごと、週ごと、月ごとのレビューの場を設けておく。
Yさんの日報にあったように、その句読点を設けておくことで、微細な時間だけに捕らわれるという罠からたまにはのがれて、大きな時間を意識して、全体像、つまりレコード全体のメッセージを感じるようなことができるのでしょう。
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