「海外かぶれ」がある理由
おはようございます。
今朝も涼しいのですが傘を刺さない程度の雨が軽く降っています。
===ほぼ毎朝エッセー===
違う場所に行って見聞を深めるのは人生を豊かにします。
さらに他の言葉でコミュニケーションを取る苦労をしたりします。
文化の違い、人の違い、考え方の違い。
それぞれを認識する。一方で共通点を意識する。
そういった機会が増えると言葉以上の「何か」も得られます。
会社で実施している1対1英会話も、講師たちのコメントを読んでいると、
一人ひとりが様々な考えや生活をお話していることがわかります。
皆それぞれが言葉以上の何かを得ているわけです。それも双方向。
これは海外に行くことに通じる効果が出ていると思っています。
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さて、昔からある「海外かぶれ」について。
アルバイトのKさんの日報にあったところから引用しましょう。
Kさんは大学4年生。就職活動も終わり、今はうちで端末検証の
アルバイトをしてくれています。
留学していた友達がほぼ全員帰ってきました。
良い経験積んだんだな、って人とただ海外かぶれになっただけの人で
完全にグループ分けできる気がします。
目的意識の違いなのでしょうか。
ここに考察をしてみましょう。
海外かぶれって、多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思います。
ところが、人によって違いが出るのが面白いですね。
外国に行っていたこと自体で自分が偉く思えたり。
見聞が広いことをひけらかしたくなったり。
あるいは、欧米諸国が進んでいるという妄信をしていたり。
これは、
「人との違いを示したい」とか
「自分の存在を認めてもらいたい」という、
自己顕示欲から出てきているものですね。
その強弱が「海外かぶれ」を出すか出さないかの境界なのでしょう。
また、留学という大きな体験で苦労をしているので、
顕示しなくても充分に存在感がある。
そんなことを知っている人たちが「良い経験積んだんだ」組。
留学をしていたけど日本人とつるんでいた、
ちょっと手を抜いた意識があって自分を顕示をしたい。
そんな気持ちの人たちが「ただ海外かぶれになっただけ」組。
どれくらい苦戦したかでかぶれ方に違いがあるような気もします。
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そして、もう一点。
「海外かぶれ」に対して、なんとなく嫌悪感を持ってしまう、
見る側の島国根性にもちょっと注意が必要かも知れませんね。
海外かぶれって、ハシカみたいなもの。
多かれ少なかれ誰にでもあるわけですから。
広い心で見てあげることも大切でしょう。