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ビジネスモバイルITベンチャー実録【朝メール】から抜粋します

謝るの「謝」が、感謝の「謝」だと気づいたとき (劣位姿勢:2)

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★妙にいい発見をしてしまったと思いました。あらためて漢字の奥深さに畏敬の念を感じた瞬間です。

【朝メール】20070123より__

□□謝るということ

「ごめんなさい」
「すみません」
「申し訳ありません」
「大変遺憾に思います」
「不徳のいたすところ」
「ご迷惑をおかけして・・・」

謝りの言葉って多様にあります。ところで、そもそも謝るってことは何なのでしょうか?『相手にかけた迷惑に対して申し訳ないと思う気持ち』、それを表現することではないでしょうか。

人は必ず他人に迷惑をかけて生きているのだから、相手にかけた迷惑をいちいち謝る言葉で表現していたら世の中、謝罪の句だらけになってしまいます。

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一方、謝ることがだんだんと変質して使われることもあります。そのひとつが、劣位を表現することによって保護してもらおうとする姿勢です。自分が弱いというカモフラージュをすると、周りから援助してもらえるという期待が混じることがあります。

謝ることが軽い劣位の表現にとどまっていればいいけど、多用すると本来の意味からはかけ離れた現象になっていきます。そういう人に謝られたときは、あまり謝られた気すらしません。それどころか「え、謝ればすむと思っているの?」とか「もっとしっかりしてくれよぉ」といった、攻撃的な感情すら抱かせるものです。

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劣位を演じすぎると卑屈になります。それが周りの優位と残忍性を引き上げ、定常化したところで周りからの攻撃を誘発してしまうのです。いわゆる『いじめ』の開始です。心理学の実験に『スタンフォード監獄実験※(後述)』というものがあります。学生に監守と囚人の役割を2週間演じさせ続けたら、監守はより残忍なことを自然とするようになったというあれです。近年でもイラク侵攻のアメリカ兵による捕虜への残虐行為が問題になりましたよね。

人は無意識に役割を演じてしまうのです。そうなってしまうと、謝るという行為は当初の意味を持たないどころか全く違うものになってしまい、逆効果、周りの攻撃を誘発するようなことにまでなります。パワハラやDVを誘発するものにすらなりかねません。

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では、どうすればいいのでしょうか。

相手に迷惑をかけた場合、ことの度合いにもよりますが「ごめんなさい」と表現するのではなく「ありがとう」と表現するといいと思うのです。「ありがとう」でも同じこと、つまり『相手にかけた迷惑に対して申し訳ないと思う気持ち』を表現することができます。

それなので、「ごめんなさい」を多用するかわりに「ありがとう」を多用するのです。叱られたときも、「ごめんなさい」と謝るのではなく、「気づかせていただきありがとう」と感謝するのです。

『謝』という謝りを表現する漢字が、感謝の『謝』でもあるのは偶然の一致ではないと思います。身近な人に言うのは恥ずかしい気もしますが、「ありがとう」という言葉にはそんな力があるのだと思いました。謝りの言葉が飛び交うよりは感謝の言葉が飛び交っているほうが気持ちいいのは確かですからね。

□□きょうのうんちくコーナー

※『スタンフォード監獄実験』これは『アイヒマン実験』と並んで、今は禁止されている内容の心理学実験です。MBAの組織論授業で両方の記録ビデオを観て、人間が如何に権威から与えられた権限に呑まれてしまうかということに、恐ろしさを感じさせる実験でした。

『スタンフォード監獄実験』Wikipediaから引用してみます。

■概要
1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、心理学者フィリップ・ジンバルドー(Philip Zimbardo)の指導の下に、刑務所を舞台にして、普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験が行われた。実験期間は2週間の予定だった。

新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせたところ、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明された。

■実験の内容
ジンバルドーは役割を与えられた者達に自ら与えられた役割をよりリアルに演じさせるため、逮捕から始まり、囚人役に対して指紋をとり、シラミ駆除剤を拭きつけ、屈辱感を与えるために下着を着用させず、トイレへ行くときは目隠しをさせ、看守役には表情が読まれないようサングラスを着用させたり、午前2 時半などに囚人役を起こさせたりした。

次第に、看守役は誰かに指示されるわけでもなく、自ら囚人役に罰則を与え始める。反抗した囚人の主犯格は、独房に見立てた倉庫へ監禁し、その囚人役のグループにはバケツへ排便するように強制させ、耐えかねた囚人役の一人は実験の中止を求めるが、ジンバルドーはリアリティを追求し「仮釈放の審査」を囚人役に受けさせ、そのまま実験は継続された。

精神を錯乱させた囚人役が、1人実験から離脱。さらに、精神的に追い詰められたもう一人の囚人役を、看守役は独房に見立てた倉庫へうつし、他の囚人役にその囚人に対しての非難を強制し、まもなく離脱。

離脱した囚人役が、仲間を連れて襲撃するという情報が入り、一度地下1階の実験室から5階へ移動されるが、実験中の囚人役のただの願望だったと判明。

■実験の中止
ジンバルドーは、実際の監獄でカウンセリングをしている牧師に、監獄実験の囚人役を診てもらい、監獄実験と実際の監獄を比較させた。牧師は、監獄へいれられた囚人の初期症状と全く同じで、実験にしては出来すぎていると非難。

看守役は、囚人役にさらに屈辱感を与えるため、素手でトイレ掃除(実際にはトイレットペーパの切れ端だけ)や靴磨きをさせ、ついには禁止されていた暴力が開始された。

ジンバルドーは、それを止めるどころか実験のリアリティに飲まれ実験を続行するが、牧師がこの危険な状況を家族へ連絡、家族達は弁護士を連れて中止を訴え協議のすえ6日間で中止された。しかし看守役は「話が違う」と続行を希望したという。

後のジンバルドーの会見で、自分自身がその状況に飲まれてしまい、危険な状態であると認識できなかったと説明した。ジンバルドーは、実験終了から約10年間、それぞれの被験者をカウンセリングし続け、今は後遺症が残っている者はいない。

■実験の結果

権力への服従 : 強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうのである。

非個人化 : しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。

★劣位を表現しすぎるとこんな怖い結果がまっているのかも…。理想組織を追い求める中で、このような事実が集団心理、組織心理として存在しうるということを知っておくのは大切です。

★それなので、謝るより感謝の言葉、意識して述べるようにしたいです。

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