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ヴィジュアル、サウンド、テキスト、コードの間を彷徨いながら、感じたこと考えたことを綴ります。

絵画のゆくすえ。静寂は、残るのか。

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電子出版について毎日何かしらのニュースが流れる。紙媒体か携帯端末かという議論は、すぐに過去のものとなり、そうこうしている間に、電子ペーパーが、アッという間に普及していく。
Microsoft Waveの「videos」タブをクリックして表示されるページの、「future vision montage/Future technologies from Microsoft」というクールなビデオに、電子ペーパーがチラリと顔を出す。ここに描かれた未来の到来は、そう遠い先ではない。
紙媒体と携帯性の両方のメリットを持つメディアを前に、紙か電子かと議論をしていた昨日を、なつかしく思い出すことになるだろう。
そのとき私は、慌てるよりもむしろ、手をひろげて、天を見上げるに違いない。

そして「もう携帯端末とかじゃないよね~、電子ペーパーだよね~、うぅん、いまさら電子ペーパーじゃないね、どこでも何でもディスプレイだよね~」などと、うそぶいていると、今度は、「何?まだ言葉とか図とかでコミュニケーションしてんの?うざ。ダイレクトに伝えればカンタンなのに」という時代がやってくる。
ブレイン・マシン・インタフェース時代の到来である。
端末を持って歩こうものなら、「なにあれ、カードみたいの持ってる、いつの時代~?」とか言われるんだろうな。

デバイスの進化を目の当たりにしながら、棚からあふれている本と、大昔の大きなモニタに占拠された作業部屋で、パソコンのスイッチを切り、ネットから離れて、消えていくものと現れるもの、自分の近未来の生活を想う。
何度も繰り返し読んでボロボロになっている文庫本。お気に入りの画集。カセットテープとCD...。

過日、私は、花粉症からの咳のため通院していた。
見慣れた病院の壁に、掛けてある絵を眺め、ふと思う。これが壁と一体化したモニタで、3次元の映像が映っていたとしたら、その情報は患者を鞭打つだろうか、それとも自己治癒力を引き出すだろうか?
それは、人によって、異なるのだろう。そして、どちらが多数であろうと、行く先々のすべてを色彩と音が埋め尽くす、賑やかな世界が尊ばれるようになるに違いない。
そのとき、我々は、見出すのである。静かな、ただひとつの場所を、絵画の中に。

私は確信する。紙媒体も携帯端末も失せ、電子ペーパーも失せ、ブレイン・マシン・インタフェースの時代になったとしても、あまりにも静謐であるがゆえの珍しさから、絵画は生き残るに違いない、と。
いつの日か、今我々が3Dに歓声をあげているのとは逆の言葉が聞かれるようになるだろう。
未来の子供たちは、情報にあふれた場で、静かに語る絵画を見て、驚き、脳の中に言葉、いやイメージを生起して伝え合うのだ。
「普通は3次元のイメージなのに、それを2次元の中に閉じ込めるなんて、凄い技術だよね!」

しかし、言葉による理解伝達そのものがなくなり、ダイレクトな意識共有、感情共有が起こり始めたときには?
「絵画?何それ?オブジェクトなの?何かモノで伝えるってこと自体、信じられないしー」とか思われる時代になるのだろう。
まぁ、筆者の生きている間には、そんな現実はやって来ないだろうけれども。

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