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孔子学院について考えてみる

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confucius.png世界に広がる孔子学院
Confucius Institute(孔子学院)は、世界各国に支部を設けて、中国語と中国文化を教えています。

日本国内でも、早稲田大学や立命館大学など、学内に孔子学院を設置している大学は多く存在しています。

孔子学院の実態
ところが実際の内容では、中国政府が派遣した講師によるスタイルが教育の独立性を脅かやしているのではないか?などの批判があり、事実上は中国共産党によるプロパガンダ機関なのでは、といった意見につながっているのです。

こうした批判を反映するように、欧米諸国からは契約更新のタイミングに合わせて、延長しない、という選択肢を選ぶ大学が増えています。つまり、孔子学院は減ってきているのです。

孔子は偉大な人物
上記のような孔子学院の噂に対して、孔子自身は尊敬を集めてきた非常に偉大な人物でした。
東アジア圏に大きな思想的影響を与えてきた儒教の始祖であり、弟子たちとの語録は「論語」として著されています。

いつも筆者が思うこと
孔子や論語のことを私、大塚が考えると、いつも思うことがあります。私自身が常に枕元に論語の本を置いていて寝る前に読んでいるからこそ、感じられてしまうのですが。


「中国という国は、論語というすばらしい書物(他にも多くの優れた書物や思想家)を生み出したのにも関わらず、どうして現代中国を眺めると、理不尽に感じられることが多くあるのか?という疑問です。」

この点の疑問は、いつも友人との間で議論になるところです。
友人の意見はこうです。「今の中国は昔の中国とは全く別の国だから」というもの。
これに対して私、大塚の意見はこうです。「今も昔と同じように優れた思想家は中国に存在している。ところが人口があまりにも増え過ぎてしまい、彼らの存在が霞むくらいになってしまった」というものです。

我が国はどうなのか?
翻って日本はどうかと言うと、思想家を歴史的にあまり多く輩出してこれなかった国だと思っています。芸術文化方面では優れた人物は数多くいたのですが。
筆者の考えでは、日本人は美的感覚には優れていますが、言葉で表す、という芸当が昔から苦手な民族である、というものです。

だからこそ、世界が舞台の集まりの場では、リーダーになれないと感じています。
聞く人を魅き込むような魅力的なトークが苦手なのです。
これは実際の調査結果にも出ていますが、成人が一日当たりに発する言葉の分量が他の主要国に比べて少ない、それも3分の2位しかない、とのことです。つまり口数が少ない・寡黙な民族なのです。

だからこそ、アウンの呼吸なる、世界標準ではないコミュニケーションが存在しているのでしょう。
う〜ん、ガラパゴスです。

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