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仕事通話の費用を個人が負担するってどうなのよ?あるいは会社と社員の緩めの関係

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ふと、仕事で使う携帯費用を僕がどう負担してきたか?についての変遷に思いを巡らせた。
20年間で結構移り変わってきた。

【1】転職前(1999年以前)
仕事で携帯を使っていなかった。偉い人だけ支給されていたかも。

【2】ケンブリッジ転職後(2000年~2005年)
時代的にも携帯が一般化し、自分のオフィスと客先を行ったり来たりするような仕事になったこともあって仕事で私物携帯をバリバリ使っていた。友人から「え?会社負担じゃないの?」と驚かれたが、転職して給料が200万くらいは上がったので「給料に込み込み」と解釈して気にもとめなかった。そもそも残業代すら込み込みなんだから、その辺の感覚が一気にどんぶりになっていたのだ。

【3】会社負担へ(2005年ごろ?)
中途で転職してきた社員が提案してくれて、私物携帯からかけても会社請求できるサービスに、会社全体が加入した。これによって自分の持ち出しがゼロになった。ラッキー。
ちなみにそれ以前にも会社から携帯を支給する話もあったが、2台持ちがうざすぎるという理由で却下。BYODという言葉は2009年に提唱されたらしいが、携帯に限ってはそんな概念を持ち出すまでもなく、こういう運用の会社が多かったのでは。

【4】ネット通話へ(この数年)
LINE、Skypeなどが一般化し、仕事でもそれらのアプリ上での通話(または会議)を使うようになった。ちなみにうちの会社ではCISCOのサービスを使っている。これにより、いわゆる「電話」の使用頻度は激減。
でもデバイスは私物スマホのままなので、パケット通信料は社員の持ち出しに戻った(というかパケット量の枠を削られる。オフィスにはゲストWiFiあるけど、外だと・・)。これは昔の携帯代に比べると些細なことだろうが、またも社員負担的な世界に戻ったのが面白い。


・・ということで、世の中の変化に即して自己負担が増えたり減ったりしている。だが僕個人としては一切気にならない(他の社員は知らんが)。たとえ負担してもそれも含めて自分の待遇だし、それは「職場でコーヒーがただで飲めるかどうか」などと同じ。そもそも、こういう些細な経費って、人生においてあまりにどうでもいいから、考えるのもバカバカしい。

でも、大企業に出入りして制度/ルールを伺っていると、こういったことが実に事細かにルールとして決まっているし、そこには「いついかなる時も平等に」という精神が貫かれている。

通信費が多くかかる人とそうではない人がいる
⇒社員が不平等に負担すべきではない
⇒会社負担にする
⇒過剰に請求することがないよう、請求できる範囲を明文化しよう

という具合だ。
例えば営業にだけ「散髪手当」が支給される会社があるが、これも、

営業は身だしなみが重要
⇒内勤よりも頻繁に散髪すべき
⇒それを社員に強いると、営業職だけ不公平
⇒散髪手当を制度化する

という流れだろう。

大企業の人事制度がなぜあれほど複雑で窮屈かといえば、「いついかなる時も平等に」を病的に追求したケースが多い。「Aさんに支給したのにBさんに支給しないなんてとんでもない!」を防ぐために支給条件が事細かに決まっていたりする。

こうして「社員の平等」という良きことのために複雑化してしまった制度は、一方で運用負荷が高過ぎて、会社(株主)も社員も両方損しているレベルまで達している。100円単位の損得を平等にするために人件費を1000円かけてチェックしている、100万かけてシステムにチェックさせる、みたいな話。

ウチの会社がなるべく人事制度を明文化せずに、ケースバイケースで運営してきた背景にはこの価値観がある。多少の不平等にはおおらかになって、そのかわり利益をちゃんと出し、ボーナスで全員に還元しましょう、という。社員の細かい不平等は長いスパンではおおよそ平準化されるだろうし。
もちろん大雑把な制度でも成り立つのは、制度をハックしようとする人がいないからだ。つまり、不正とまでは言わないまでも、制度の不明確さや小さな矛盾を活用して、個人的な利益を追求する人はいない。
むしろ僕らはそういうことを戒めるカルチャーを作ることにこそ、力を注いでいる。


日本の大企業で経理や人事などの管理部門にいる人は文系エリートがほとんどだが、頭が緻密すぎるのか、性格が真面目すぎるのか、この手の大雑把な考え方がかなり苦手だ。良かれと思って積極的に制度を正しく(ただし複雑に)する方向に優秀さを使ってしまう。たまに「その人が作った複雑すぎて理解が難しい制度を整理した特大なエクセルの表」を見せてくれたりする。
ネットベンチャーや新興IT企業と呼ばれる会社は大企業になっても制度の複雑化を意図的に防いでいるところが多い。規模の大小だけがポイントではない。やればできるのだ。ベースとなるのは良きカルチャーがあるので性善説で制度を考えても破綻しないことだ。
伝統的大企業の制度設計者のみなさんも早く気づいて欲しい。

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