どのようにして日本的人事戦略が機能しなくなったか?あるいは環境適用について
経団連やトヨタの偉い人が「終身雇用を維持するの無理無理」と言い始めたし、実際に大企業で45歳以上のリストラ(大幅な配置転換や退職勧告)がニュースとなっていて、改めて日本的人事戦略についての議論が盛り上がっている。
※実際にはこれらは人事"戦略"というよりは人事慣行、くらいのものだと思っている。が、ここでは一般的な人事戦略という言葉を使う。
僕は1996年に社会人になった。そして日本的人事戦略が変容していく様子を一般的なサラリーマンよりも半歩前に経験してきたように思う。そこでこの記事では、「経営環境の変化」「日本企業の人事戦略の変化」「僕の仕事人生」の3つを点描することで、日本的人事戦略が日本企業にもたらしたものを考えてみたい。
統計的裏付けのない、あくまで僕のキャリアからの視点なのでバイアスもあろうかと思うが、その分生々しく、分かりやすいのではないだろうか。
【1】失われた30年前夜
バブル期を含め、景気拡大期は事業が素直な伸び方をするので、業績拡大(売上利益の向上)のためには、「各々の持ち場で各位努力する」が最適解であった。開発は良い製品を作り、製造は1円でも安く作り、営業は売りまくる。そういうイメージだ。
そういう経営環境で人事に課せられたミッションは
・とにかく標準以上の能力の人材を集める
・能力とモチベーションの平均を上げる(特にモチベーションが成果に直結した)
・それを場所や年齢が変わっても維持してもらう
であった。つまり「8割の社員をやる気満々にすること」が最重要人事課題ということ。
それへの最適解が年功序列と終身雇用である。その中でも、モチベーション維持のために特に重要なのが、昇進と待遇を同期横並びにすることだった。
逆にいうと、同期と差をつけられた人のモチベーションはダウンする。20年前(入社4年目くらい)に、ある日本的経営の会社に勤めていた友人が「同期より給与が低かった。そういうことやる会社なんだ、と嫌気がさした」とぼやいていたのを覚えている。
【2】1995年~2005年ごろ:人材の流動化スタート
この頃から、日本経済における外資企業の存在感が増したように思う。貿易摩擦への対応から外資に門戸を開いたこともあるだろうし、バブル後の日本企業の停滞、そして単純に世界がボーダレス化していったことの一つの側面でもあっただろう。
これら外資企業は中途採用がメインだった。そもそもじっくり人材を育てるよりは優秀な人を良い待遇で雇うことに(日本企業より)ずっと慣れていたし、新卒採用市場で優秀な人材を確保しづらかった、という消極的な理由もあったと思う。
その結果として、人材の流動化が少しずつ進展した。「会社が潰れた」といったネガティブな理由ではなく、キャリアアップのための転職(特に外資への転職)が広まったのはようやくこの頃だったと思う。
【3】高度成長から複雑な世の中に
1990年代後半というのは日本はバブルの後処理に追われていたが、もう少し長いスパンの「高度成長期の終焉」という転換の時期でもあった。
高度成長が終わると、【1】で述べた「量の拡大と利益/利益率の拡大の相関」が薄れる。つまり「とにかくシェア取るのが正義」という時代ではなくなっていった。工場が1円でも安く作り、営業が売りまくれば利益はついてくる、という感じではないということだ。
つまり人事戦略でいうと「みんながんばれ」作戦の有効性が薄れたということ。みんな引き続き頑張っているのに、うまく利益が上がらない会社が増えた。それは単に景気サイクルのせいというよりは、競争の質が変わったからおきた現象だ。
もちろんこのあたりは「今思えば」という話であって、当時はまだ「景気サイクルの谷間にすぎない。すぐに景気はまた良くなるだろう」「不良債権処理が終われば良くなるだろう」と言われていた。だが実はゲームのルールが変わっていたのだ。
【4】ITの存在感アップ
1990年代後半から2000年代にかけての環境変化でもう一つ、インターネット等、産業全体に対するITの存在感が増したことは重要だ。「ITをビジネスに活かせるか?」が業績に与えるインパクトが大きくなったということ。
このころ「IT革命」なんていうバズワードが踊ったが、単なる流行り廃りではなく、本質的な変化をビジネスにもたらした。僕は1990年代後半はSE、2000年代前半はITコンサルタントをしていたので、特にそれを実感していた。
ところで、IT業界は1990年ごろまでは労働集約産業などと揶揄されていた。プログラミング言語が十分発達していなかったので、複雑なシステムを作るにはCOBOLを1万行書く、そのためにプログラマーを100人集める、といった人海戦術が不可欠だったから。
2000年ごろを境に、言語の発達やERPを始めとしたパッケージソフトの普及により、労働集約産業からようやく(本来の)知識集約産業に脱皮することができた。つまり、世の中にあるものをイイカンジに組み合わせればそんなに人手をかけなくても済むようになったということ。
いい感じに組み合わせるのはCOBOLをゴリゴリ書くより難しいので、「少数の優秀な人」の価値が相対的に上昇した。優秀なエンジニアは普通のエンジニアよりも生産性が10倍、なんてことはざらに起こる。そもそも、ザコが100人いても良いシステムは作れないのだから、生産性以前の話だったりする。
以前「複雑な計算エンジンが同じ機能なのに2つ実装されているクソシステム」に出会ったことがあるが、これなんかは優秀なエンジニアがアーキテクチャー設計をしなかったばかりに、2億円くらいの損害を出している例だ。「優秀かそうじゃないかで、ビジネスに億円レベルのインパクトがある」というのはエンジニアだったら誰もが実感しているだろう。
【5】全員で頑張る⇒エース次第
上記はITエンジニアリングそのもの話だが、実はエンジニアだけでなくITを使った企画やマーケティングも同じ構図になっていった。つまり、「ハイパフォーマーのスーパーな仕事こそが利益の源泉」という時代だ。1人1人の営業マンがコツコツ売って数字を作るよりも、優秀な1人のマーケターの仕事が大きなインパクトをもたらす。
こうして高度成長期が終わったことに加えてITが重要な世の中になり、「各戦場でみんなが頑張る」とか「全員で頑張れば利益は付いてくる」から、「エースの活躍次第」という色合いがますます強くなっていった。
昔から「組織の利益の8割は2割の人材がもたらす」なんていうけれども、今ではもっと極端になったように思える。「利益の95%は5%の人材がもたらす」くらいかな?
【6】優秀な人こそ外資(能力主義の会社)へ
これまで述べてきた、
・外資の存在感アップ
・中途採用市場が活況になり人材流動化
・エース次第のビジネスへ
という条件が揃った結果起きたことは、「高待遇で外資に転職する人が増加」だった。しかもどちらかというと優秀な人こそ外資に流れる傾向があったのではないか。
※外資系的な人事政策はベンチャーなど一部の日本企業でも採用されている。この記事では「外資vs日本企業」というよりも「外資系的な能力主義vs日本企業的な年功序列主義」を論じたいので、以下、外資的な人事制度を便宜上「能力主義」と呼ぼう。
エースの確保がビジネスのCSF(Critical Success Factor。主要成功要因)なのだから、そのために必要なコストは払う、というのが能力主義の企業が当たり前に考えていたことだ。
僕も1996年に就職活動した時、ある外資系IT企業の人に「給与はどうやって決めるんですか?」と聞いたら、「市場価格です」と即答された。相手はまだ新卒入社2年目くらいの人だったが、そういう考えが浸透しているようだった。僕は経済学部だったので「そう言われれば当たり前だよな」と、むしろ聞いた自分が恥ずかしくなったが、これは当時の日本企業での常識からはかけ離れた回答だった。
この状態(ごく一部の企業だけが能力主義を採用している)は、能力主義の会社には誠においしい状況だった。日本企業がみっちり基礎訓練をしてくれた28~33歳くらいの人材のうち、優秀な層だけを選択的に効率よく採用できたのだから。産業のエスタブリッシュメントである日本大企業に、ベンチャーや外資系企業が食い込むのは本来難しい。だがそれをこの構図は確実に後押ししていた。
【7】2000年代の転職に対する一般的な風潮
僕は転職活動して外資系で働き始めた2000年ごろに、「もしかしてこうなっているのかも?」と、これまで述べたような構図に気づいた。
僕はSEだったので、大企業で実際に稼働している基幹系システムに触れ、それを作って来られた情報システム部門の大ベテランたちを尊敬していた。だが、そういった優秀な方々は今後、大企業の情シスに残るのではなく、徐々にプロフェッショナル職として社外に流出していくのでは・・。
だが、当時はまだ「転職するのはドロップアウト」という風潮が日本企業では一般的な価値観だった。例えば僕は新卒入社3年半たった所の2000年1月に外資企業であるケンブリッジに転職した。この頃、それほど親しくない人に「ポジティブな転職ですよ」と言ったら驚かれたのを覚えている。「そんなノリで転職するなんて・・新人類だ」的な受け取られ方だった。
今から考えると、その様な「転職はイレギュラーかつネガティブ」は80年代の経営環境で作られた価値観の名残りに過ぎなかったのだが。
少し生々しい話をすると、当時は外資に転職していく同僚に対して「あいつにこの年俸提示?高すぎない?」みたいな反応もあった。
実際には、そういう人は転職前には稼がない高給おっさんの食い扶持も稼いでいた。年功序列とはそれをヨシとする制度なのだから当然だ。だから個人としては転職後の方が適正な(実力に即した)価値だったのだろう。
例えば僕でいうと、転職で年俸が1.7倍程度になった(転職前の年棒の記憶が曖昧なのでザックリだが)。前職でも年間1億弱の売上を作っていたので、それくらいの価値は十分あったはずだが、年功序列の人事制度の中ではそんなに待遇が良くなるわけはない。特に僕の場合は、前職の上司たちから「なぜこいつがお客さんに評価され、売上を作れるのか?」を全く理解してもらっていなかったので、なおさらだ。
これこそが、年功序列と市場価格のギャップである。
若手でそこそこのハイパフォーマーであれば、こういったギャップは必ずある。もちろん育ててもらった恩もあるので、ある程度は当然なのだが。
【8】市場価格とのギャップへの日本企業の対応
これらの経営環境の変化を受け、日本企業は2000年代にドラスティックに「市場価格で社員の給与を決める」という人事制度に移行する選択肢もありえた。実際、ちょうどその頃に成果主義への転換が多くの企業でなされた。
だが、新たに導入された成果主義はこれまで述べてきた市場価格と待遇のギャップを埋める方向には機能しなかった。なぜなら、
a)成果主義は不景気に対処するための、総額人件費削減の手段になった
b)市場価格との比較よりも、社員間の差をつけることを志向した
という方向での制度改革になってしまったからだ。
目的が違うのだから、ここで論じている「待遇の対外競争力是正」にはあまり効果的ではなかった。つまり「無能な上司が俺より貰っている」という恨みへの対処は(ある程度)できたし、退職年金や窓際族に高すぎる給与を払うことには対処できたが、「転職した方が待遇が良くなる」には無策に近かったということだ。
少し後になって(2010年ごろ)、韓国中国企業への技術者引き抜きがセンセーショナルな話題になった。あれと同じことが、欧米系との間ではとっくに構造化していた。だが深く静かに進行したので、あまり話題にもならなかったし、日本企業としても危機感は薄かったのではないか。
ごく最近もNTTの方が「新卒の30%が数年でGAFAに引き抜かれる」とおっしゃったらしい。確かにあちらは年収2000万とか、無料のカフェテリアとか、分かりやすく派手なのでショッキングだ。だが、似たようなことはずっと前からあったのだ。
【9】一般的な日本企業の社員の対応
一方で社員の方も「待遇より居心地」「会社は一生勤めて当然」「自分の会社が好き」という人もまだまだ多かった。人の価値観はそれほど早くは変わらない。多分、人の価値観が変わるよりも、人が入れ替わる方が早いだろう。つまり、これくらい大きな環境変化を受け入れるには30年かかる。
そしてもちろん「転職したら待遇が上がるかもしれないが、自分はこの会社と今の仕事が好き」という価値観が悪い訳ではない。
※注:僕自身のお客さんは大企業の方が多いので、こういう価値観の方と、会社(そして社会)を良くするためにチャレンジをやってきたし、同志という感覚も持っている。
そのため日本企業からの人材流失は限定的だったが、特に優秀な人や、イノベーションを起こすような変わり者は比較的流出しがちだった。特に、ITエンジニアは流出し続けた。
2000年ごろにはすでにIT業界だけは「手に職をつけて転職」という文化が一般化していたためだ。先にも少し触れたように、エンジニアというのは能力差があからさまな職業だからだろう。「この会社じゃないと発揮できない能力」という要素も少なく、転職してもすぐに活躍できる。
変わり者、特に優秀な人、ITエンジニア。これらは世の中で重要な人材になっていった「ITをテコにビジネスを変革する人材、いまDX人材(笑)と言われている人材」のことである。
割合で言えば能力主義の会社に転職する人は少なかった。だが変革をリードするポテンシャル(性格含めて)を持った人材は、転職する傾向が強かった。
これは人々の実感以上に、世の中を変えるインパクトがあったはず。
【10】待遇ではなくやりがいの話
さて。ここまでは、分かりやすく待遇の話をしてきたが、本当に重要なのは、仕事の面白さだと思っている。僕をはじめとして「仕事は給与の額では選ばない派」は多い。
だが、待遇と仕事の面白さにはゆるい相関があるものだ。例えば僕は人月100万でSEをしていたときよりも人月200万でコンサルタントをしていた時のほうが、本質的でお客さんにインパクトを与える仕事に関われたし、結果として面白かった。この例は売値の話であって社員の待遇とイコールではないが、相関関係はある。
年功序列型の日本企業の本当の問題は、ハイパフォーマーにやりがいのある仕事をさせなかったことだと思っている。
誤解のないように言っておくと、たいていの大企業でも優秀な人には相対的に面白い仕事を割り振る意図はある。だが一方で、かなり優秀なのに40代でも部下がいないとか、超就活エリートが行く会社なのに20代ではエクセルデータ加工がメインタスクとか、残念な状況も普通に目にする。
「同期の中で優秀な人は企画部門に」とかチンケな話ではなく、本当に優秀な人には「30代で創って作って売る、が揃った事業を任される」くらいのドラスティックなメリハリをつけるべきなのだ。能力主義の会社がやっているように。
このメリハリのなさは、給与制度以上に深刻な日本的人事戦略のバグである。
人を育てるのは研修ではなく仕事なのだから、エキサイティングな仕事を優秀な人に与えなかったら、人が育たないか、優秀な人から逃げるかの二択だ。
日本企業がこれを避けるために取りうる1番簡単な施策は、ハイパフォーマーを若くして関連会社の社長に抜擢することだろう。1つの事業、1つの組織体を若くして任せることは人を鍛えるよい修行になる。
だが、関連会社の社長というポストは、ほとんどの会社で役員さんの終着駅的なポジションである。これをいきなり38歳くらいの若僧にくれてやる、という大胆なことをやる企業は稀だった。経営者候補の育成よりも、社長レースに破れたかつての仲間のメンツを優先する。これはどう考えても合理性に欠ける慣行であり、趣味で経営やってんですか?と言われても仕方ない。
要は、「ハイパフォーマーに面白い仕事を与えないと会社の明日はない」という切迫感が不足しているのだ。だから思考停止的にこれまでの人事慣行をずるずると続けてしまう。
繰り返すが、ハイパフォーマーを惹きつけるために本当に重要なのは札束ではなく仕事の面白さ(責任の重さと言ってもいい)だ。僕の知人でも「年俸は下がるけれども、面白そうだから転職する」という人は結構いる(特に大胆に組織を変えるリーダーシップがあるような人ほど、そうだ)。
なのに、この面でも日本的人事戦略はまるで機能していない。
そんなこんなで、例えば僕の場合は30歳ころに、日本的人事戦略の企業への転職の可能性はなくなった。その時やっていた仕事より面白い仕事をさせてもらえないから。例えば「この会社に転職するなら最低限、経営企画室長とか情シス部長じゃないとつまらんな・・。でもそれって50歳くらいのポジションだ・・今僕が転職しても絶対にそんなポストは回ってこない」という感じ。
【11】本当に怖いのは転職ではなく新卒採用
「日本的人事戦略の会社からは優秀な人が逃げる」をこれまで説明する際に、主に転職の話をしてきたが、実は新卒市場の方がインパクトが大きい。新卒でも特に優秀層が、日本的人事戦略の企業に行かなくなっている。
これも身近な例で恐縮なのだが、僕が学生の時に属していた団体のOB名簿を見ると、僕より年上は、ほぼ日本的人事制度の会社(新日鐵、三井物産、富士銀行・・)に就職していた。だが僕より15歳くらい下になると、能力主義の会社が5割にもなっている(アクセンチュア、楽天、P&G・・)。どうも僕の世代あたりが分岐点のようだ。新卒で入った会社からの転職も目に見えて増えている。
※ただしこの3年間は揺り戻しがあり、伝統的な大企業が人気の模様。原因は謎。
よく「最近の若者はイマイチだ」などとぼやくおじさんがいるが、そういうおじさんの会社には本当に優秀な若者が行かなくなっているんじゃないかな。例えばうちの会社(ケンブリッジ)の新卒社員はめちゃくちゃ優秀ですよ。昔の大学生よりも勉強しているし(これはうちの会社がそういう学生を採用している、というバイアスがありそう)。
【12】まとめ
ということで、長々と書いて来たが、まとめよう。
・ハイパフォーマーの確保が1番重要な経営環境になった
・だが多くの日本企業はその重要性に気づかなかった(または気づいても転換できなかった)
・そのためハイパフォーマーの育成、確保、活用に失敗した
・経営の最重要ポイントで失敗しているためリカバリーが効かず、業績が振るわない
ということが起きている。20年30年という単位で。
要は能力主義でないことのデメリットが凄い。
【13】文系人の敗北
僕は「失われた30年」を「日本文系人の敗北」だと捉えている。
エンジニアには罪はなく、人事政策立案者を典型とする組織運営者の仕事が、経営環境の変化に全く対応していなかった。僕と同じ、経済学部、商学部あたりの卒業生の責任だ。
これも個人的な話だが、僕の母校は日本一の経営学研究拠点だと思っている。だが90年代に、研究者の多くはここで述べた日本的人事政策を礼賛していた。「日本企業は長期的雇用の前提があるから教育熱心である」「組織運営に必要なナレッジは外部から買えないため、長期雇用の社員が担い手になっている」などなど。
だが実際には、この記事で長々と書いたように、能力主義の会社に人事戦略面で大きく遅れをとり、それが致命傷になっている。一時期熱心に経営学を勉強した者として誠に残念だし、当事者として悔しい思いがある。
【14】新しい日本企業の時代へ
唯一の救いは、外資系だけでなくほとんどの日本の新しい会社は徹底した能力主義をとっていることだ。新興ITの企業のように、日本的人事政策とは無縁な会社が存在感を増している。彼らの人事政策がハイパフォーマーを雇える形態なのは、ベンチャーとしてゼロベースで設計してるからだろう。
それに加え、エンジニア中心の会社であることも大きいはず。上記【4】で書いたように、エンジニアの世界では年功序列は全くフィットしない。20年生よりも5年生が有能、なんてどこの会社にもある。それをエンジニア出身の経営者はよく理解しているはずだ。
環境変化が起こる時、会社は変わらなければ他社に替わられてしまう。
この記事で書いた「日本的人事戦略と経営環境とのアンマッチ」は当面は広がる一方だろう。人事戦略の大胆な変更は中の人にとって拒否感が大きすぎるので、ほとんどの会社ではドラスティックには変われない。
結果として日本企業の競争力を削ぎ続け、様々な形で(分かりにくい形で)、能力主義の企業に取って代わられる。在来種の日本タンポポが西洋タンポポに少しずつ置き換わってしまったように。環境に適応できなければ替わられてしまう。
個人的には、とって替わる企業がAmazonの様な外資ではなく、クックパッドの様な日本企業であって欲しいのだが。
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