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あるいはファシリテーションが得意なコンサルタントによるノウハウとか失敗とか教訓とか

キレイ系グラフィックレコーディング、あるいはキタナイ系スクライブ

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土曜日にIIBA(ビジネスアナリストの団体)のイベントで講演し、日曜日はグラフィックファシリテーションフォーラムという場を一参加者として覗いてきた。

2つのイベントともにやたら熱心な人が多くて、すごく盛り上がっていた。IIBAのイベントは登壇側なのでまあいいとして、この記事ではグラフィックファシリテーションのイベントに出てつらつら考えたことを書く。


僕はファシリテーションを18年やってきて、その中で当然「議論の可視化することの意味、つまり書くことってすごく有用だよね」を信じている。だから近年グラフィックレコーディング(以下グラレコ)が盛り上がっているのを、すごく嬉しく思っている。広い意味で同志だから。
一方で、「書くことでファシリテーションする」と言ってしまえば同じでも、僕らケンブリッジがやっているのはその中でも非常に偏った活動だと思っている。この図で言うと右下の端っこ。

XX_20171022_スクライブのマトリクス.jpg


汚い字でスピード重視で殴り書きして、イメージの共有や意思決定に使う。議論するお相手は大企業のプロジェクトメンバー、部長クラス、役員(役員相手にフリップチャート一枚持って打ち合わせします)など。
典型的にはこんな感じのものを書く。これ、前に書いた本物だけど、何の話をしているかはともかく、雰囲気は伝わるだろう。

XX_20171022_キタナイ系3.jpg

そして「グラフィックファシリテーションフォーラム」に集った人々は、先程のマトリクスの上、それも左寄りに見える。描かれたものは、額に入れて飾りたくなる。

しかも、係として描くひとだけじゃなくて、座って話を聞きながら自分のスケッチブックに書いているのをちらっと見ても、みんなこれ級にうまい・・。
XX_20171022_キレイ系.jpg

いいとか悪いとかじゃなくて、やっていることや人種が結構違うんだよね。

その差をざっくりまとめるとこんな感じ↓。

XX_20171022_比較表.jpg


で、せっかくキレイ系の世界を少し覗かせてもらったので、「キタナイ系から見たキレイ系のすごい所と疑問」をまとめてみよう。


★キレイ系グラレコの素晴らしい所

A)描いて楽しい!
純粋に、「描く楽しさ」ってあると思う。
文字や図が中心のキタナイ系であっても、僕は「書く楽しさ」を感じる時があるけど、まあこれは特殊嗜好だと思う。キレイ系をやっている人のほうが、やっぱり素直に楽しんでやっているよね。今日のイベントでも、すごく笑顔が多かった。

B)描いてもらって嬉しい!
自分の語ったことを描いてもらう嬉しさ、は大きいと思う。これまでの人生で「自分が語ったことをきれいにまとめてもらった」という経験は普通ないよね。
ビジネスの場面でも、すでに信頼関係ができているプロジェクトメンバー間で議論するなら、キタナイ系で議論して10分で終了、で十分だが、工場の現場にはじめて行ってまだ警戒感あるなかでヒアリングする時とかは、黙々とキタナイ系スクライブするよりも、グラレコにまとめた方が、絶対喜んでくれるし、今後の関係も良好になりそうな気がする。

C)振り返りにとても有用
言葉だけでなくイメージや雰囲気が伝わるのがグラフィックだからこその良さ。例えばこの写真は、白川が講演した内容を「ビジネスアナリストの文脈で言うとどういうこと?」というまとめをしてくださった時の資料。
講演⇒グラレコ⇒それを写真でとって⇒PPT上でコメントを追加
という流れでその場で作ってくれた資料だが、ベースとなっているグラレコをみんな見ているので、すぐに「ああ、なるほどね」となる。

XX_20171022_IIBA.jpg

D)異民族の交流
イベントに行ってみて本当に実感したんだけど、いまグラレコを引っ張っているのは、デザイン畑の人々だと思う。それがITの人やコミュニティ活動している人といい感じに混ざったり、デザインバックグラウンドの人が普通の会社に就職してグラレコをちょっとずつやり始めることで、ムーブメントが盛り上がっている感じ。「デザイン思考をビジネスに」という流れにグラレコは貢献できていると思う。




★グラレコへの(やや批判的な)疑問

E)漫画にするのって意味ある?
グラレコでよく見るのは、先程の比較表の左下の絵みたいな感じ(キタナイ系総裁の白川が再現しているので色々すみません・・)。それをキタナイ系スクライバーが書くと、右下のように、ただの字の羅列になる。その代わりに文字量は多くなる。

何がいいたいかというと、人間を書く暇あったら、情報量増やしたほうが良くない??漫画って意味ある?ということ。今日のイベントで「名前のついてない新しいものを語るためにはグラフィックを書くしかないでしょ」みたいな話をしてくれた方がいて、それには強く共感したし、キタナイ系でもそのために図は多用するけど、「新しいもの=語る人間の漫画」じゃないよね。

いや、まあ、漫画のほうが楽しいのは間違いないんだけど。大昔に相原コージが書いた「サルまん」に、時刻表を漫画にする、というネタが有ったけど、それを思い出してしまった(伝わる人だけ伝われっ)。


F)議論の最中に利用できる?
グラレコで僕がちょっとな~と思うのは、話す人やファシリテーターと、描くひとが完全に分業していること。

・こちらでワイワイ議論している
・後ろの方で黙々とグラレコを描いている
・議論にはグラレコは利用されない
・議論の最後の振り返りコーナーでようやくグラレコに注目が集まる
・ヒドイときには全く顧みられずに、休み時間にちらほら見る
という感じ。

分業してるからこそ、すごくキレイなものが書けるし、「グラレコやる人をちょっと呼んでこよう・・」がやりやすい。一方で、「議論そのものに役立てる」ということの大きな弊害になっているはず。
僕が「可視化、書くことってパワフルだよね」という時、8割がた「議論そのものに役立つよね」という意味なので、この面ではちょっとモヤモヤする。
例として上で載せたキタナイ系の事例の場合、議論の最中におもむろに書き始め、これをベースに議論して、「じゃあ、こうしようぜ!」と次の行動が決まって・・と、実際にプロジェクトを進める力を持っている。

グラレコってそういう使い方につながるのかな?少なくともイベントでは見なかった。「レコーディング」だから記録できればいいのかな?


G)プレゼンテーションにも使えばいいのに
今回のイベント、すげー盛り上がって、前で話す実践者の人々のやっていることもかっこいいものばかり(例えばグラフィカルな授業をしている小学校の先生とか、ほんと尊敬できる)。
でも一つ残念だったのは、みんなパワーポイント使ってプレゼンテーションしてたんだよね。話す所にフリップチャート台が置いてすらいないのにはややびっくりした。
僕自身は何か説明する時に、もう書かないと話せない。土曜日のIIBAの講演でも、グラフィッカーの方から分けてもらった模造紙を貼り、字や図を書きながら説明した。だから翌日のイベントでは、「登壇者の人たち、書きながら話したくないのかな-」「せっかくグラフィックを議論に活かそうと言ってるのにな」と思ってしまった。もっとはっきり言うと、ちょっとださいと思った。
別に言いがかりを付けているつもりはなくて、F)の「議論の最中に利用する気ある?」につながる、とても重要なポイントだと思うんだよね。分業の弊害というか、「話す人は書かない」「私描くひと、あなた話す人」みたいな・・。


H)キレイ過ぎる弊害(マネしようと思わない)
写真の通り、今グラレコやっている人って、めちゃくちゃうまいんだよね。
僕はこれは、グラレコを浸透させるためには、どちらかと言うとデメリットだと思っている。絵心がない人は誰も真似しようとは思わないから。
グラレコをやっている人々は「絵はうまくなくても、描けばいいんだよ」と言うんですけど、実際絵心がない人からみるとキレイ過ぎて、ドン引きですわ。人前で字を書くことすら恥ずかしがる人が多いのが日本の会社。ましてや絵なんて・・。
僕が自分を「キタナイ系スクライバー」という言い方をしているのは、この辺へのアンチテーゼなんだよね。

※とは言え、キタナイ系スクライブが簡単かというと、実はそうでもないことに数年前気づいた。初級編はただキーワードを字で書けばいいだけなので簡単なのだが、上級編として「ややこしい状況をクールな図で、その場で整理する」というのは高度なコンセプチャルスキルが必要で、実は難しいんだよね(自分が得意なので、この難しさにずっと気が付かなかった)。


I)キレイ過ぎる弊害(加筆できない)
キタナイ系の図は、最初に書いたものに、色んな人が意見をどんどん書き込むことができる。「オレが大事だと思うのはむしろここで・・」とか言って。意見がある人にペンを渡して加筆してもらうことも多い。

そしてどんどん汚くなるが、その汚さは議論の過程そのものである。2週間後に見返しても、「あの人がここの重要性をすごく主張したんだよな」「コレを土台にアイディアが生まれたんだよな」はすぐに思い出せる。それはほんと本質的なこと。
一方、キレイ過ぎる絵には、絶対に他人は加筆できない。大げさに言えば、モナリザに筆を付ける人はいないでしょ、ということ。


★要は、目的の違い?
グラフィックレコーダーの方からは、僕の疑問はすごく批判的に思えるかもしれないけれども、「キタナイ系×ビジネス」の立場から、率直に書いてみた。もう一回強調するけど、僕はキレイ系グラレコがどんどん発展してもらいたいと思っている。今日はせっかく色々見せてもらったので、より発展するための捨て石にしてもらえれば、と問題提起のつもり。

で、イベントのなかでも少しだけ話が出ていたんだけど、この辺の話は、結局のところ、「何のために書くの?」ということなんだと思う。
「場の活性化!振り返り!可愛い!すごい!クリエイティブ!」を目指すならばキレイ系が素敵だし、「結論を出す、ビジネスでのぶれないコンセンサスづくり、アクションに直結」が目的なら、僕らのやっているキタナイ系のほうが有用。
でも、なんか、両者の隙間というか、いいとこ取りというか、もうちょっとやりようがある気がする。何より、いま現在結構離れているからこそ、間に大きなフロンティアがある。


★僕らだからできるかもしれないこと
ファシリテーションそのものもそうなのだけども、「コミュニティ活動でファシリテーションやグラレコを活かすのはできるけど、お硬い会社の真面目なビジネスの場ではやりづらい、浸透させられない」という悩みはある。今日のイベントでも話題になっていた。(もちろん、それにチャレンジしている人、成功事例もあるよ)

その辺、僕らは「書くことをガチなビジネスの現場、特に大企業で活用する」をもう20年やっている。あくまでキタナイ系だけど。変革プロジェクトというちょっと隔離された特殊な状況だからこそ、こういう見慣れない活動を投入しやすい、という事情もある。
なので、うまくコラボレーションすれば、「キレイ系×ビジネス」の領域での活用の道がもっと開けそうな気がする。
なのでまずは僕らがキレイ系をもっと理解した方が良いんだと思う。ウチのイベントでグラフィックレコーダーの方に活躍してもらったり、ウチの「新しいものを作る系プロジェクト」に参加してもらったりから始めるのがいいんでしょうね。



※おまけ
今回、素晴らしい立地のオシャレなイベントスペースで開催されたのだけれども、こういうファシリテーションやグラフィックのイベントやるなら、ウチの新オフィスの方がずっと向いていると思う。なんと言ってもコンセプトが「ファシリテーター&スクライバーの殿堂」ですから。
無償で貸しますんで、次回以降、もし会場でお悩みなら、ツイッターとか使って声かけてください。


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キタナイ系スクライブの初級編は同僚の榊巻が書いたこの本にだいたい書いてあります。
このレベルまでなら誰でもできるし、「書いたものを議論に使う」というのがどういうことか、よく分かります。

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