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ビジネスとお父さん業のスキルを向上するIT活用術

40年前。中学生時に、私の就職先と転職先を決めたNECの本と雑誌ASCII創刊号

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 私がコンピューター技術者になろうと決意したのは、40年近く前の中学の頃だった。

 千葉駅近くの書店に平積みされた「マイコン入門」(1977/NEC 大内著)の第1章(あの、渡辺和也さん執筆)と第3章を読んで興味をもち、その翌週に「月刊ASCII」創刊号(19776月)の巻頭コラムに出会ってコンピュータ技術者になりたいという夢は決定的なものになった。

そのASCII創刊号の巻頭コラムを見つけたので、まず、その一部を紹介しておこう。

IOT、スマホはもちろん、インターネットや携帯電話、パソコンは存在していない40年前のコラムだ。インベーダーゲームでさえ登場しておらず、任天堂はおもちゃしか作っていなかった時代である。

、、、マイクロコンピュータは家電製品にも積極的に使われて、産業としての地位を確立しつつありますが、今まで大型が担ってきた計算とか処理などの機能を備えたコンピュータが個人の手のとどく商品となったら、それをどのように分類したらいいのでしょうか。

 電卓の延長ではないと考えます。家庭や日常生活の中に入ったコンピュータ、テレビやビデオ、ラジオのような、いわゆるメディアと呼ばれる、コミュニケーションの一手段になるのではないでしょうか。

、、(中略)、、対話のできるメディアなのです。個人個人が自分の主体性を持ってかかわりあうことができるもの――これが次の世代の人々が最も求める解答であると思うのです。(「月刊ASCII」創刊号/1977年/巻頭コラムより一部引用)

 卓上コンピュータで沢山の人と対話できる時代が来ると思い、そんな時代の技術者になりたいと思った。

そして、それをリードする企業「NEC」に入ることを夢見た。それは中学3年生のことだった。

 この当時、一世を風靡したマイコンキットTK-80NECで、マイコン入門の著者はNEC、そしてNECCC (コンピューター & コミュニケーション)を提唱していたからだ。親たちのNECへのイメージは超3流家電メーカーだったが、ASCIIのコラムで書かれている世界を実現するのは、NEC以外にないと思っていた。

 高校に入るとこれも大ヒットのNEC PC-8001が登場し、NECへの憧れはさらに強くなった。

 高校卒業後、私はHITAC 8250(パンチカード) M240HTSS)などの日立製汎用機(メインフレーム)を使ってCOBOLやアセンブラのプログラミングを行なっていたが、それでもNECに就職したいという気持ちは変わらなかった。

 富士通や日立の汎用機がIBMを真似した互換機を作っている(あくまで当時の私のイメージです)のに対して、NECIBMのモノマネではない独自アーキテクチャでIBMに対抗しているのもかっこいいと思った。


個人が主体性を持ってかかわりあう対話のできるメディアの時代を

       「かっこいいNEC」で

 私がNECのネットワーク&中小企業向けシステム販売子会社であるNEC情報サービス(現NECネクサソリューションズ)に入社する直前にPC−9801(NEC)が発売され大ヒットし、3年後の電電公社の民営化(現在のNTT)の直後にPC-VANNEC)が登場しパソコン通信(メール、掲示板、フォーラム、チャット、ファイル共有など)がブームになった。

 ついに中学生の時に読んだASCIIのコラムの「個人個人が自分の主体性を持ってかかわりあうことができる、対話のできるメディア」の世界になったのだ。そして、それをリードしていたのは、確かにNECだった。

 本題からそれるが、当時のNECのスーパーコンピュータ SX2がアメリカ勢を抜いて世界最速となり、ミドルクラスのコンピュータ(オフィスコンピュータ)のシェアもNO.1であった。当時のNECは本当にかっこよかった。


"個人が主体性を持ってかかわりあう、対話のできるメディア"への

こだわり

 私は、業務システム受託開発、システム販売で実績を上げていたが、ASCIIのコラムにあった「個人個人が自分の主体性を持ってかかわりあうことができる、対話のできるメディア」をビジネスにしたいと思い、パソコンを利用したビデオ会議のビジネス化やアメリカの国防総省を中心に始まっていた初期のインターネットと日本の研究ネットワークの接続の仕事にのめり込んだ。

 そしてパソコン通信ホストシステムと、欧米で話題になり始めた企業内グループウエアを自社パッケージとして企画、開発をリードしビジネスを成功させることもできた。 自由にビジネスを企画し進めさせてくれる、この会社だからできたことである。


"個人が主体性を持ってかかわりあう対話のできるメディア"の時代を

        「かっこいいロータス社」で

 そのセミナー講師で走り回っていた37歳の冬に、当時のグループウエアソフトとして圧倒的な存在感を持っていた「Lotus Notes」で有名なロータスのマーケティング本部からオファーを頂いて転職したが、その大きな理由の一つは、やはり「個人が自分の主体性を持ってかかわりあうことができる、対話のできるメディア」のプロフェッショナルになりたかったからだ。 

転職2ヶ月後のLotus Notes / DominoR5の発表イベントでのセミナー講師が実質的な最初の仕事となった。


IT系ブロガーやIT業界のベテランのみなさまへ

 私のような人間が、これほど華やかで遣り甲斐のある世界で働くことができたのは、中学時代に出会ったマイコン入門とASCIIの創刊号のコラムに出会ったからに他ならない。

 まだ純粋だが、現実的にものを考え始める中学、高校時代に読む本、雑誌、マンガが人生に与える影響は極めて大きい。そして、今ではブログやSNSもそれに含まれるだろう。

 さて、今度は私たちベテランが、若者たちに、日本のIT業界に従事することのワクワク感、夢、ビジョンを提供する時である。

IT業界で10年以上の経験を持つ、ベテランのビジネスマン、技術者、そして、ブロガーの皆様。 日本のIT業界の未来のために、もっともっと「日本のIT産業で働く事の素晴らしさ」を、青少年に伝えて行こうではないか。

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