解釈学会様の『解釈』第68巻に片岡麻実の論文が掲載されました
解釈学会様の学術誌『解釈』に、このたび拙論「奈良絵本『ちごいま』における古典受容」が掲載されました。学会(査読がある場)に投稿するのは生まれて初めてだったので、無事に査読に通り大変うれしかったです。
以下に、論文の要旨をご紹介させていただきますね。
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題名:奈良絵本『ちごいま』における古典受容
著者:片岡麻実
『稚児いま参り』は室町時代末期に成立した御伽草子で、女装して内大臣家の姫君の女房になり姫君と恋愛をする稚児や兜率天往生する尼天狗が登場する作品である。本稿では、『稚児いま参り』の写本における先行物語の受容、本文と挿絵のずれを考察する。
例えば、『稚児いま参り』の本文には「姫君は入水を望んでいたが、山中を彷徨っている際、あいにく川は見つからなかった」と記載されているが、奈良絵本の挿絵には本文と異なり山中に存在しないはずの川が描かれている。本文と挿絵のずれには一体、どのような意図があるのか、『稚児いま参り』における『源氏物語』『狭衣物語』『平家物語』受容も踏まえて検証したい。
まず『源氏物語』との関係については、『稚児いま参り』の姫君が山中を流離する場面と『源氏小鏡』手習巻で浮舟が入水を試みた失踪前後のことを回想する場面と類似していること、『狭衣物語』との関係については、『稚児いま参り』の姫君が内大臣家を出奔し山中を流離する場面で『狭衣物語』の女二の宮や飛鳥井の女君等が詠んだ和歌が引かれていること、『平家物語』との関係については、『稚児いま参り』の姫君が山中を流離し、尼天狗と出会う場面が『平家物語』の灌頂巻で建礼門院が後白河法皇と対面する場面から引用されていること等を確認した。
さらに、内大臣家を出奔した姫君が京の都にいる親を思って嘆く場面で「月の都」という表現が使用されている。この表現は手習巻で詠まれた浮舟の歌を本歌取りしている。以上の点から、奈良絵本の挿絵に存在しないはずの川が描かれたのは、先行物語の入水する姫君のモチーフを換骨奪胎した結果ではないかと仮説を立てている。諸賢の御批正を請願する次第である。
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拙稿が掲載されている学術誌『解釈』は、国立国会図書館や各大学図書館等でご覧いただくことができます。日本文学および絵巻物に興味がある方にご覧いただけましたらうれしいです。
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【掲載誌】
奈良絵本『ちごいま』における古典受容 (特集 中世・近世)
『解釈』 解釈学会 編 68巻 (9・10月号), 24-32頁, 2022
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I032453725-00
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なお、研究職についていない私の在野研究が学術誌に掲載されるところまでたどり着けたのは、ITmedia編集部の皆様や日ごろ応援してくださっている皆様のおかげです。大変ありがとうございました。今年は残り1週間となりました。みなさま、良いお年をお迎えくださいませ。