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オルタナブログ6周年と「舘野泉のピアニズム」

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ピアニスト・舘野泉さんと6にまつわる物語

晴れて本日、2011年6月13日にオルタナブログ6周年となりました。今回は「6」にまつわる話ということで、一昨日コンサートに行った舘野泉さん(ピアニスト)の話をば。

舘野さんは東京藝術大学を主席で卒業した後、現代音楽で有名なメシアンコンクールで第2位になり、美しい音と繊細なリリシズムで国際的に高い評価を得て来られたピアニストです。舘野さんは2002年にコンサートの最後の曲を弾き終えた瞬間、脳溢血で倒れられ右半身付随になられました。

普通ならば右手が動かなくなったらピアニストを引退する方が多いのではないかと思うのですが、舘野さんは2004年に左手だけのピアニストとして演奏活動を復帰。左手、つまり5本の指だけで演奏をされるようになったのです。

参考:

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参考:Youtubeより スクリャービン「左手のための夜想曲」:http://www.youtube.com/watch?v=w8FaPBEN8Uk&feature=player_embedded

普通ならば2手(10本)の指で弾かなければ十分な音楽表現は難しいと考えてしまうのではないでしょうか。しかし、舘野さんは「左手だけだからできる音楽表現があるのではないか」と考えたのです。

一昨日、聴きに行ったリサイタルの時の曲の間のお話やCDの解説を読んで感じたことですが、「今、自分に与えられた現状の中でどうやって最大限の力を発揮するか。」ということを真摯に考え取り組まれてきた方ではないかと思います。

初めてAmazonで舘野さんのCDの視聴をした際、両手で弾かれていた頃の演奏と現在の演奏を聞き比べましたが、左手だけの演奏とは思えない素晴らしい演奏で言葉を失いました。今回のコンサートで私が最初に聞いたのは大好きな曲であるバッハの「シャコンヌ」。

ヴァイオリンの独奏曲として最高難易度なのではないかと思うほど演奏するのが難しく聞こえる名曲を、ブラームスが右手を痛めたクララ・シューマンのために左手の独奏用に編曲したものです。派手さはなく旋律を中心に音楽が高まっていく印象を受けます。

シャコンヌのピアノ版は二手または四手の編曲が有名なのですが、ブラームスの編曲は旋律中心でシンプル。それだけにだけに音楽表現の深さが問われるように思いました。

出だしはペダルを控えめにギターのような音色に聴こえましたが、だんだん音楽が高まって行って有名なサビに来たところで舘野さんらしい透明な澄み切った音に。となりの席に座っていた小学生のお子さんは渋い曲にもかかわらず身を乗り出して涙ぐんで聴いていらっしゃいました。

アンコールでカッチーニ「アヴェ・マリア」を演奏された時、私だけでなく他のお客さんたちもすすり泣いていました。アヴェ・マリアは聖母マリアの歌だということは知っていましたし、声楽家の人の歌もコンサートで何回も聞きました。今までは歌い手=聖母マリアなのかなと思っていました。今回、舘野さんの演奏を聞いて「これは聖母マリアを信仰する人々の祈りの歌なんだな」と初めて感じました。

普通のコンサート会場なのに舘野さんが「アヴェ・マリア」を引き出したとたん場が静寂に包まれてすごく清らかで尊い空気に包まました。厳かで神様がここにいるのではないかと思うような信仰心が音から溢れていました。間違いなく魂を震わせる音楽でした。

「左手だけなのに両手にしか聞こえない演奏」という評価をする方もいらっしゃるとは思います。ですが、「片手だけで演奏しているのにすごい」のではなく、音楽の精神性のようなものに私は感動しました。片手か両手に関わらず素晴らしい物は素晴らしい。

外国では神様から使命を与えられた人、障害がある人達の事を「チャレンジド」と呼ぶそうです。「神から挑戦することを与えられた人たち」という意味があると聞いたことがあります。NHKでも佐々木蔵之介さんの主演ドラマで「チャレンジド」というドラマがありました。舘野さんは障害者ではないのですが、神から与えられた壁を乗り越え、左手だけだから感じ・表現できる音楽を探求されていらっしゃる。

舘野さんの澄んだ美しい音や高い芸術性も素晴らしいと思います。無名な北欧の作曲家や南米の作曲家の名曲を見つけて再評価されている取り組みも日本の作曲家の曲を積極的に取り上げられているのも素晴らしいと思います。

しかし、今回のコンサートで一番印象的だったのは一曲弾き終わるたびにお客さんに大変うれしそうな笑顔で「うんうん」と頷きながら「ありがとう」という顔をされてお辞儀をされていたことでした。「演奏することが歓び」というお顔をされていました。一曲を無事に弾き終えたこと、演奏できることが嬉しいという気持ちが伝わってきました。

私がもし舘野さんと同じだけの演奏ができたら「私って素敵な演奏したでしょ」という顔をしてしまうと思いますが、音楽と共にあることが歓びなのかもしれません。天才と呼ばれる人たちは専門分野に対して純粋さがあると聞いたことがありますが、舘野さんもそうなのかもしれません。

物理的な問題を考えれば左手(5本)の指だけでは和音を弾く際に5音もしくは6音を同時に弾くのが限界でしょうし、左手だけで88鍵の低音から高音まで弾くのは肉体的な負担も大きいと思います。舘野さんは2011年現在75歳ですし、左手だけで演奏をするのは並々ならぬ日々の取り組みをされていることと推察されます。

今回、舘野さんの右手はたしかに膝の上にあって演奏の際は左手だけで演奏されていましたが、右手が第6本目の指として機能しているように思いました。というのは、マグヌッソンというアイスランドの作曲家の曲は低音から高音まで激しく左手が移動する難曲で舘野さんが左手で高音域を弾く際は体を大きく右に傾けなくてはなりません。

脳溢血で右半身不随になられたのに右に大きく傾くということは、椅子から倒れないように姿勢を維持することがとても大事なポイントになると考えられます。

体全体を鍛えるということもされていると思いますが、舘野さんは右ひざの上に置かれた右手を軸にして右に傾いて高音域を演奏されるときにバランスをとっていらっしゃるように見えました。同じように左足も曲によっては伸ばしたり曲げたりして体のバランスをとっていらっしゃるようでした。

右足は普通にペダルを踏まれていましたが、指が動かなくなった右手が第6の指のように演奏を支えていることをコンサートに行って知ることができました。「右手が動かなくなったからもう駄目だ」と思いがちだと思いますが、右手も演奏に加わっていたんですね。

人生いろいろありますが、「もうだめだ」と諦かけたことが今の自分を支えていてくれていることもあるかもしれません。物事は考え方次第。行動の仕方次第かもしれません。どんな状況においても今出来る事を取り組むことによって舘野さんのように神から与えられた試練を使命として転換できる可能性があります。

今まで手に障害があってピアノを諦めていた人も舘野さんが左手のための音楽を深めて広められていることで、音楽を演奏する歓びを味わうことができるようになったのではないでしょうか。「人生どう生きるかは自分次第」。舘野さんの演奏と右手が私にそう教えてくれたように思いました。

参考文献

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編集履歴: 2012/1/9 見出しと参考音源、参考文献を追加しました。

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