「価値を作る人」と「場を作る人」
人には、そんな役割分担があるのかも知れない。私はどちらかと言えば、「場を作る人」が性に合っている。例えば、13年続けているITソリューション塾などは、その代表だろうし、年間100回を越える講義や講演もまた、その類だ。新しい何かを生みだすのではなく、「価値を作る人」たちが生みだしたものをわかりやすく整理し、気付きを与える場を提供しているとも言えるだろう。
2011年の東日本大震災をうけて開催した「IT×災害会議」や「情報支援レスキュー隊」の創設に関わったのも、人がつながる場を提供することが目的であったが、そういうことに関わってゆくことに、心地よさを感じる。
これから始めようとしている八ヶ岳南麓のワーキングスペースも、そんな自分の感性に従っているだけなのかも知れない。
昔からそうだが、本を読み、人の話を聞いて、それらをつなげて、自分なりに軸を与え整理をしてみるのが、好きだった。高校の時は、大学受験のための歴史の勉強をするのに、常に地図帳を片手に、地理的な位置関係を確認しながら、勉強していたこともある。大学時代は、小難しい授業を聞いて、なかなか理解できず、他の授業や関連する書籍を読んで、自分なりに絵に描いて、理解しようとしていたこともある。
何かひとつのことに集中し、極めるとか、新しい何かを創出するとかは苦手だが、既に存在する物事をつなぎ合わせて、自分ならではの整理を試みることや、そういう場をつくることは、苦にならない。むしろ、ぐちゃぐちゃが、わかりやすい言葉や図表に整理されたとき、無上の喜びを感じるし、自分が主宰する講義や講演、勉強会やコミュニティに、喜々として参加し、議論し、アウトプットを生みだす人たちの姿に、心地よさというか、やったぜと言う達成感を感じる。
自分がクリエイティブではないことは、この歳になれば、十分に分かっている。好奇心は未だ衰えることはないが、誰も気付かなかったパターン、あるいは秩序を見つけ出すと言ったサイエンスの能力が欠如していることの自覚はある。つまり、Oから1の能力は、どうもなさそうだ。
ただ、人との会話は大好きで、相手の発言を自分のパターンに当てはめ考えて、自分の意見をぶつけ、さらに相手の気付きを促すことや、そこから相手を理解し、この人とこの人をつなげれば面白い化学反応が生まれるのではないかという勘は、それなりにある。そんなことがとても楽しく、性に合っているようだ。つまり、Oから1の人たちをつなぎ合わせ、あるいは、同じ箱に入れて混ぜ合わせ、新しいOから1を生みだす場を作るのは、なんとも心地がいいわけだ。
八ヶ岳南麓のワーキングスペースを作るに当たって、とにかくいろいろと人をつなげている。地元のお店やら宿泊施設、不動産屋さんやら大工さん、役所の人や東京のIT企業の面々など、それが楽しくて仕方がない。とにかく、自分にはない情報があるし、視点や着想が想いもかけないもので、そういうことに巡り会い、またそれを自分なりつなげることで、新たな整理ができる。
課題は山積みながら、そんな時間を楽しんでいるし、そして課題があるほどに知恵も生まれる。また何よりも、そういう繫がりの人たちがいろいろと助けてくれる。
さて、どうなるのかは、いまだ分からない部分もあるが、少しづつ霧が晴れつつあることは確かだと感じている。