DXという「うさんくささ」
また、DXかぁ?!
そんな印象を受ける人も少なくないに違いない。あまりにも、騒ぎすぎだと感じているひともいるだろう。我が社もDXに取り組まなくてはと、トップダウンで言葉だけが降りてくる。そうだ、DXをやらなくちゃ、となんとなく分かった気になってしまう。
リモート会議の環境を整えなくては、ハンコをなくして手続きを簡素化しよう、RPAで業務の効率化を図ろう、とにかく何でもデジタルにして、仕事を効率化しなくてはと考える。
それ、OAとか、むかし言っていたことと何が違うのだろうか?そりゃあ、インターネットにスマホですよ。OA全盛の頃には、そんなものありませんでしたからね。まさにその通りだが、ならばDXと大騒ぎするほどのことではないだろう。
DXのさきがけとしてとして、AIやIoTも人々の関心を集めている。AIを導入すれば、品質が向上するとか、売上が上がると多くの人が信じている。IoTの浸透で、これまでにない便利で快適な社会が実現するという信仰も、いまや国家宗教にならんとする勢いがある。DXは、そんなAIやIoTを包括する世界宗教としての位置づけを手にしつつあると言ってもいいだろう。
しかし、ご本尊様はいかなる存在なのだろうか。それを自ら見極めることなく、クリマスにはクリスチャンになり、正月には神道になり、葬式には仏教徒になるがごとき柔軟さをもって、いま旬のDXをあがめているように思えてならない。
いつの時代も言葉が先行する。1990年の初頭に登場した「インターネット」、2006年に登場した「クラウド・コンピューティング」という言葉も、その意味や価値が分からないままに、人々は注目した。そして、技術と理解の裏付けが、徐々に一致するようになって、もはやいまの社会やビジネスの前提となったわけで、いずれも、人々がコンセンサスを持って理解するには10年くらいの時間はかかっている。
DXを同様に見立てることには、無理があるかも知れない。なぜなら、それは、テクノロジーやテクノロジーを裏付けとしたサービスが存在する話しではないからだ。概念であり、文化であり、風土であるからだ。とても抽象的で得体の知れない、実体のない何かであるからだ。まさに世界宗教にふさわしい、崇高な理念である。DXには、そんなうさんくささがつきまとう。
ちょっと、遊びすぎたかも知れない。まあ、しかし、だからこそ、いろいろな解釈があっていいと思うし、やがてはどこかでコンセンサスが得られる時代がくるだろう。
参考:DXについての3つの解釈
2004年に登場した「デジタル・トランスフォーメーション(DX)」という言葉は、もはや黎明期というには薹が立っている。しかし、もともとは、テクノロジーの発展が世の中をよりよい方向に向かわせるといった社会現象として語られていた。それがビジネスと結びつけて、語られるようになったのは、2010年代であり、ガートナーやIDCなどの調査会社が、その定義を表明したのは、2016年以降であろう。その意味では、まだまだ新しい言葉だ。
2018年、経済産業省の「デジタルトランスフォーメーションに向けた研究会」が策定したDX推進のためのガイドライン、すなわち「DXを 推進するための新たなデジタル技術の活用とレガシーシステム刷新に関するガイドライン」が我が国によるDXブームのきっかけを作ったとも言えるだろう。
ここで、DXとは何かを説明するつもりはない。ただ、世間が注目するようになったのには、それなりの意味がある。DXという言葉で分かったつもりになるのではなく、その本質を問い、意味や価値を考えるべきだ。考えるとは、人間ならではの特性であり、考えることを辞めてしまえば、人間であることの存在意義を失ってしまう。
DXという言葉につきまとう、この「うさんくささ」は、DXという言葉を考えることなく、言葉だけを聞いて分かったつもりで語っている人たちが、まだまだ多いからだと思う。それも過渡期のことであって、インターネットやクラウド、AIやIoTがそうであったように、必ずそんな時期を通ってくる。しかし、その本質を多くの人が考え、それぞれに、その意味や価値を理解するようになると、一気に輝きを増すことになる。DXには、そんな輝きが隠れていると私は考える。
では、お前はどう考えているのかと、言いたくなるだろう。では、いまの自分の考えを参考までに、最後に記しておこう。もちろん、これが正解だなんて思わないで欲しい。
DXの目的は、不確実性が高まる社会にあっても、
企業の存在意義/Purposeを貫くことである。
そのためには、企業を存続させ、事業を成長させなくてはならない。自ずと、変化に俊敏に対処できる企業の文化や風土への変革は不可避だ。
そうなれば、デジタル技術を駆使することは、必然の手段となる。ただそれは、デジタル技術を使えば、できるという簡単なことではない。
デジタルがもはや前提となっている社会の新しい常識に合わせて、経営や事業のあり方を根本的に変えること、すなわち、既存のビジネス・モデルやビジネス・プロセスの「破壊・変革・創造」を行うことだ。
DXは、デジタル技術を使うことよりも、多くのことをしなくてはならないだろう。それは、収益構造や事業目的、組織や体制、雇用制度など、広範に及ぶ。DXとは、そんな取り組みの結果としてもたらされる「あるべき姿」の体現に他ならない。