テクノロジーのトレンドにひたむきであることの意味
2006年、当時GoogleのCEOであったエリック・シュミットが「クラウド・コンピューティング」という言葉を使ったことをきっかけに、新しいコンピューティングの可能性に関心を持つ人たちが増えていった。その可能性を追求した米国のベンチャー企業は、やがてGAFAあるいはFANGAMと呼ばれるようになり、世界に大きな影響力を持つようになる。
一方、日本のITベンダーやSIerは、「日本はアメリカと違い、サーバーやライセンスの販売が必要であり、その需要がなくなることはない」とクラウドには消極的な立場を崩すことはなかった。また、「クラウドはセキュリティが心配だから使えない」とお客様に説明し、自らもそれを信じていた。
確かに、クラウドが登場した当初は、未熟であり制約も多く、あながちこれが間違えだったわけではない。しかし、制約がある中でも可能性を見出し、その制約を克服して、ビジネスの可能性を広げてきたのが、米国のベンチャーたちだ。一方、日本のITベンダーやSIerは、自らのビジネスを脅かす存在として、いろいろと理屈を重ねて積極的に否定してきた。それが、いまの日米のIT格差を生みだしたと言っても言い過ぎではないだろう。
2014年、拙著「システムインテグレーション崩壊」を上梓し、SIビジネスへの課題と崩壊に向かう筋道を示した、2016年、この続編となる「システムインテグレーション再生の戦略」で、既存のSIビジネスからの脱却を目指し、チャレンジする企業の取り組みを紹介し、その戦略を体系的に整理した。SIビジネスの底流に流れるトレンドとその上層に流れるビジネスの形を説明したつもりだ。
「おっしゃることは分かりますが、これまでのビジネスを変えなくても、何とかなってきました。むしろ、稼働率も上がって、人手不足で困っているくらいです。」
そんな言葉を幾度となく耳にした。当然のことだが、ITの需要がなくなることはないし、むしろ需要は拡大している。だから稼働率も上がり、人手不足になるのは当然のことだ。しかし、見方を変えれば、人の頭数、すなわち労働力に依存したビジネスの限界が見えていることを示している。まさに拙著で指摘したことが、現実になったと言えるだろう。表に見える現象にとらわれて、本質的な変化を見誤るべきではない。
稼働率は上がっても利益率は上がらない。売上を伸ばそうにも、人手が足りないので伸ばせない。確かに、いまは「何とかなっている」だろうが、ビジネスに成長の余地がないことは明らかだ。
ビジネスの価値を「労働力」に頼ってきた日本の企業と、「知識力」に価値を見出し、急速な成長を遂げてきた米国のベンチャーたちとの違いを改めて垣間見ることができる。「知識力」に頼る彼らは、稼働率は変わらなくても、あるいは下がっても、何倍にもパフォーマンスを高め、高い利益率を維持している。求めるビジネス価値の違いが、この格差を生みだしている。
「知識力」とは、テクノロジーのトレンドを先取りする能力だ。テクノロジーに生きる企業は、もっとテクノロジーのトレンドに、ひたむきであるべきだ。
冒頭にあるように、「来たるべき未来」に抗いようはない。そのためには、テクノロジーの変化の必然、すなわちなぜこのような変化が起きるのかの理由を知り、この変化を先取りすること、すなわち「トレンドにひたむき」でなくてはならない。
例えば、「なぜクラウドなのか」と考えれば、「構築や運用の負担から解放され、ビジネスを差別化するアプリケーション・ロジックにリソースを集中させたいから」となる。だから、PaaSやサーバーレス/FaaS、コンテナ、マイクロサービス・アーキテクチャーなどの需要が拡大する。ビジネスとITとの一体化が急速に進みつつある中、付加価値を生みださないインフラの構築や運用にリソースを割きたくないと考えるのは自然なことだ。特に事業部門が主導して内製化を勧めようとすれば、これはもはや前提となる。既存の収益モデルとは相容れない変化かも知れないが、もはやそうなることが「来たるべき未来」であるとすれば、これをどのようにしてビジネスにするかを考えなくてはならない。
また、かつて「モノが主役」のビジネスの時代には、ソフトウェアはモノづくりと同様に「作って納品する」やり方でよかった。しかし、「サービスが主役」のビジネスの時代へと変わったいま、サービスを支えるソフトウェアを、顧客や現場のフィードバックに直ちに対応してアップデートし続けなければ、サービスを維持できない。だから、アジャイル開発やDevOpsが必要となっている。これは、流行の手法やツールの話しではない。ビジネスの現場の切実なニーズに応えるための必然である。
今年から5Gサービスが始まったが、この高速・大容量・低遅延を活かすためには、ゼロトラスト・ネットワークは不可避だ。ビジネスのパフォーマンスを高めてゆくためには、クラウド・サービスを最大限に活用することは、もはや前提となるだろう。ならば、5Gの特性を最大限に引き出せるようにしなくてはならない。しかし、アクセスに手間がかかるパスワードを複数使うことや、帯域を狭め、使えるクラウド・サービスを制限する既存の境界防衛型ネットワークでは対処できない。パスワード・レス、ファイヤー・ウォール・レス、VPNレスを可能にするゼロトラスト・ネットワークは前提となるだろう。FIDO2を使ったSSO(Single Sign On)も有効な手段となる。また、「ユーザーに意識させない、あるいは負担をかけないセキュリティ」の考え方であるSOAR (Security Orchestration, Automation and Response)も必然となる。PPAPでセキュリティが守れると信じて、この悪しき習慣を変えようとしない人たちが、5Gで新しいビジネスの機会つかめるなんて、考えない方がいい。
また、5Gは「つながることが前提の社会」を作ってゆくだろう。これまでは、「つなげるための仕組みの構築や運用」にビジネスのチャンスはあった。しかし、SIMの設定だけで、あらゆるものがセキュアかつ高速・大容量・低遅延でつながる時代を迎えれば、「つなげるビジネス」は消滅し、「つながることを前提」にどのようなサービスを作るかが、ビジネスになる。これまでのネットワーク構築ビジネスを根底から変えてしまうだろう。
クラウドやモバイル、IoTは、5Gの普及とともに、ますます大量のデータを生みだす。機械学習はこのデータを解釈し、精度の高い予測のためのモデルを生成する。このモデルを使って、効率や利便性を高めるとともに、「人間にしかできなかったこと」、あるいは「人間にはできなかったこと」を可能にすることで、ビジネスにおける人間の役割を変えてゆく。それが当たり前の時代となれば、機械学習やそこから派生するAIアプリケーションは、あらゆるビジネスに埋没し、空気のような存在になる。かつて大騒ぎした「ビッグデータ」が、もはや当たり前すぎて、大騒ぎしなくなったのと同じだ。「デジタル・トランスフォーメーション」や「ビジネスのデジタル化」に使われる「デジタル」という言葉も、それがあたりまえの時代にあっては、あえて言葉にする必要はなくなるだろう。いまこうして、大騒ぎしているのは、まだまだそういう時代になっていないことの裏返しでもある。
ここに上げたことは、一握りの例に過ぎない。様々な変化が起きている。だからこそ、ことばの意味やテクノロジーの機能などといった表層で右往左往するのではなく、その底流にある変化を捉えようとすることだ。そうすれば、いろいろな変化の意味や方向が見えてくるだろう。それが、「テクノロジーのトレンドにひたむき」であるということだ。
「日本は違う」、「まだそこまでの需要はない」との考え方は、冒頭に紹介したクラウドの黎明期のメンタリティと何も変わらない。これでは、また過去の二の舞になるだけだ。
ただ、いい傾向もある。それは、「労働力」に頼る企業から、優秀な人材がどんどんと流出していることだ。彼らは、新しいテクノロジーについての感性と常識を持ち、それを活かすスキルを磨いてきた人たちだ。もちろん会社の仕事とは違うので、独学で、あるいはコミュニティで、自発的に「知識力」を鍛えてきたのだろう。そういう人たちが、新しい時代を興そうとするベンチャーやITを武器に事業の差別化を図ろうとする事業会社に転職している。あるいは、自ら起業する人たちもいる。外資系のIT企業に転職し、いまの世界の当たり前を日本に広めようとしている。日本が変わる原動力になろうとしている人たちが増えてきた。
優秀な人材は、転職することを厭わないし、「転職するやつは社会人としての常識に欠けている」といった価値観も、もはや過去のものとなった。産業構造の転換を促す自浄作用が働き始めたようだ。
ただし、20代以下とそれ以上では「優秀の定義」が変わることも知っておいた方がいいだろう。20代以下であれば、いま何ができるかはあまり重要ではなく、好奇心があり、いろいろとチャレンジし、自律的に学べる能力があれば、どこにでも行けるだろう。
しかし、それ以上、あるいは40代を超えているとすれば、それだけでは難しい。「ITを前提とした事業や経営の変革」について、課題を指摘し、自分の考えを示すことができなければ、価値を認めてもらえない。つまり、テクノロジーを使えることではなく、そのトレンドを踏まえて、事業や経営の戦略や施策を語れるかどうかだ。数多くのプロジェクトをこなし、修羅場をくぐり「ITを使いこなすことができる」能力は輝かしい経歴ではあるが、それだけを頼りに、キャリアアップが図れる転職は難しいだろう。
そのためにもテクノロジーのトレンド、すなわちテクノロジーの進化の道筋を理解し、それをビジネスに結びつけて考える習慣を持つように心がけるべきだ。
過去の栄光や成功体験による確証バイアスによって、来たるべき未来に目をつむったり、否定したりすることは、自らの社会的価値を貶めることに等しい。冷静に、客観的に変化の背景にある本質を見極めようとすることを日常の習慣とすることだ。その習慣こそがあなたの能力となり、社会的価値を輝かせるだろう。
むかしも、いまも、これからも変化のない時代はない。だからこそ、変化に目を閉じるのではなく、変化を先読みして、それに備えることだ。もはやそうしなければ、企業も個人も生き延びることは難しい。変化の速い時代だからこそ、「テクノロジーのトレンドにひたむき」であることが、これまでにも増して求められている。
経営者の方に申し上げたい。望もうと望まざるとに関わらず、トレンドに従って、社会は変わりビジネスも変わる。この流れに乗っていないとすれば、社員は自らを守るために「思考停止」になるか、自らの不安を解消しようと会社を去って行くだろう。
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