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日本や日本人って何だろう。改めて「海外」を考えるヒントを身近な話題から

ハーバード白熱教室における「サンデル教授のファシリテーションテクニック」と「日米参加者の違い」

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昨夜(12/2深夜)にNHKのBSハイビジョンで、サンデル教授への90分インタビューが放映されていた。講義内容そのものよりも、裏話などのファシリテーションテクニックや、東京大学にて行った日本での企画を通じて見た「日米学生気質の違い」のようなことが語られていた。

11月の休日に再放送された「ハーバード白熱教室@東京大学」をたまたま見ており、「日本人が日本語で生で議論しているのを見ると、ファシリテーション・テクニックだけを借りてきた状態なので、結構感情移入できるよな」と感じていたため、教授のノウハウが気になっていたところである。

まず、ファシリテーション・テクニックとして語られていたことであるが、これらは我々もガイジン相手の会議テクニックといて使えるものが幾つかありそうだ。

例えば、「指名するときに誰を当てるか?」というノウハウであるが、教授曰く

  • 長い時間手を挙げている人物は当てない。事前に暖めていた持論を述べるだけなので、議論にならないから。むしろ、他人の意見を聞いてじっくり考えて、間を置いて挙手してきた人物を指名する
  • できるだけ、男女・人種などのdivergenceに配慮する

とのこと。

言われてみれば、東京大学における一般参加者のオジサン・オバサンや在日外国人の方などまで含めて、発言者はvarietyに富んでいた。

また、ディベートの基本であるが

  • 「君の意見では賛成派だね。コミュニタリアン派だね」と、常に白黒つけた対立軸を明確化する

のが特徴である。

さらに、具体的な問題に落とし込むことで議論を進歩させたり方向転換させる質問作りが非常に上手い

  • オバマ大統領は広島の原爆投下について謝罪するべきか
  • 東京大学の入学の権利を、数名分だけ金銭で売買するのは許されるか?何名までなら許されるか?それはなぜか?

などなど、まずは反射的・感情的に小脳で回答できるような Yes/No Questionをぶつけ、その後で少し時間を置いて大脳を使ってDeep Thinkingさせている。

この辺のテクニックは、別の方から聞いたところであるが、脳科学的に根拠があるアプローチのようである。

特に、戦争責任に関する問題では、日本人は普段から韓国・中国などに責め立てられているので、「謝罪するべき vs 悪循環を断ち切るべき」という被告の立場に終止しがちである。
そこを、たった一つの前述の質問で、「世界唯一の被爆国として、米国の戦争責任を攻める被害者=原告側の立場もあるぞ」という視点の転換を思い起こさせてくれる。

教授によると、この辺のkeyになる質問は、議論をの流れをある程度は予測して準備しているらしいが、常に準備が当たるとは限らないので、結構苦労しているらしい。

次に、教授の目から見た「日米参加者の気質の違い」である。

まず、日本人は「用意周到に準備をしており、その通りのことを言いたがる」とのこと。
言い方を変えれば、「アドリブに弱い」ということでもある。

米国の本校で行うときには今回のようなイベントではなく「講義時間」内に収める変わりに何回かの講義になるため、敢えて「準備するな」という指示を出すこともあるそうだ。
これと同じ指示をビジネススクールで経験したのが、行動経済学や幸福論などに関する「心理学」の授業であった。
参考文献などを事前に読むことを禁止され、「最初の授業にPlainな状態で被験者としてアンケートに答えること」が重要視されていた。

世界で勝負するには、未知の状況に備えて、「アドリブで勝負する訓練を積む」ということも必要なのである。

また、やはりフレームワークに併せた議論は苦手であるという「日本人の一面」も垣間見えた。

「殺人を犯した家族をかくまうか?警察に通報するか?」という問いかけについて、「コミュニティの秩序のために」という教授が重要視しているフレームワークに乗っ取った意見がスムーズに出てくることなく、「本人の将来のために。。」のような個人主義からなかなか抜けられないために、教授が痺れをきらしているシーンが見られた。

一方、日米共通の傾向として、「自分で手を下すことになって初めて、犠牲の重要性を意識する」という点も垣間見えた。
これは、「隣の人を突き落として暴走列車をとめるのはNGだが、本人が飛び降りるのはWelcome」とか、「落とし穴の蓋が事故で空くのに、たまたま加担するまでなら許せる」とか、豊かな先進国の住人らしい”保身”感の現れだと思う。

最後に、教授自身の信条やこの講義の狙いについてもコメントされていた。

その辺については、こちらにもインタビュー記事や第3者の執筆記事があるので、非常に参考になる。

やはり、米国内においても、リーマンショック後の金融機関救済や自動車会社救済にあたって多額の税金を投入したことに関し、フェアネスの観点から問題視されているようだ。この種の、フェアネスに関する議論は、公共経済学などを考える立場では動向をwatchしておかなくてはならない。どうやら、教授自身は、個人主義、市場主義の行き過ぎや国内における(人種間などの)貧富の広がりに対する警告を促す意識が強そうである。

いわば、ハーバードという、ある意味「最も米国の指導的なリーダー階層」が、従来の米国覇権主義的な「個人主義・市場主義」から離れて、新しくGlobalに普遍的な価値観を作り出そうとしているような現象に見えてくるのだ。ハーバードが学内の講義を始めて無償公開したのがこの「正義」論であるという意味も、この辺の「新しいglobalな価値観を作る」という視点で見ると、非常に理解できる。

おそらく背景には9.11とか、中国/EUの台頭など相対的な米国の地位低下という状況認識があるのだろう。
だからこそ、世界中でも、この教授の「正義ディスカッション」が流行っているのだと感じる。

そういう観点で、サンデル教授自身は日本および日本人の立ち位置に期待しているようでもある。

教授曰く

  • 国としてのGDPの順位など気にするな。「生活の質」がある程度確保されている成熟した社会でこそ、秩序を考える余裕のようなものが生まれる
  • 欧州人を見よ。別に不幸ではないだろう。GDPや人口などは問題ではない。
  • 日本は、伝統的にコミュニティ重視の国。今回も、非常に質の高い議論には感心した
  • 但し、伝統的な権威や文化依存にならぬように配慮する必要はある。

と、日本人にエールを送るコメントが添えられていた。こういう期待に引き続き応えられるようになりたいものである。私自身も、以前に少しだけ書いたことがあるが幼少時の教育などメンタリティーとしては日本人はこの種の仲介役に向いていると思う。唯一のネックが英語であるだけなのだ。

ところで、昨夜の番組や過去のNHKでの放映は、有料(1話210円)でNHKオンデマンドによる再視聴が可能である。一方、英語のままであれば、オリジナルの12話は、iTuneUから無料でダウンロード可能である。

この差額が「日本語化コスト」であり、そこを生業にしている人も居るわけだが、必要悪のようなこのビジネス、いつかは消えてなくなるのだろうか。



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