「日本人の人の良さ、勤勉さ」は、幼児教育にまで起因するものではないか?
このところ、交渉術という観点から「日本人の人の良さ」について書いてきたが、この文化的な背景がどこから作られたか?について考えてみた。
「絵本に出てくるお話」のような幼児教育にまで遡るのではないか?と、子育てをしていて最近思う。
日本の幼児教育は、「皆で仲良く」とか協調型が多い。
「良い行いは必ず報われる」という性善説の下、「まず最初に善行を積み重ねよ」という、先行投資型の文化である。
例えば、浦島太郎は、純粋に親切心から亀を助ける。「すっぽん鍋にして食ってしまおう」などとは、これっぽちも思わなかった。
「先に善行を積めば、見返りが振ってくる。そもそも見返りなど期待してはいけない」という道徳観である。そして、「小さな玉手箱を選びましょう」という謙虚な美徳の刷り込みである。
また、「一寸法師」では、おじいさん・おばあさんは、なぜ「指先くらいの大きさの子供でもいいから」等と、理不尽に小さな希望を願ったのだろうか?
「文武両道に優秀な健康優良児の美男美女がほしい」とまで言えば厚かましいお願いだったかも知れないが、せめて、「五体満足な普通の子供」を臨むものであったろうに。。
こんな刷り込みがあるから、交渉事でも「まず先に譲って様子を見る」というクセがついてしまっているのだろう。
一方、欧米の絵本は、「赤頭巾」を代表に、「黙っていて向こうからやってくるのは、悪巧みをする狼や狐」という性悪説になっている。
「じっとしていても災難が振ってくる。悪いやつが近寄ってくる」というリスク管理の発想が幼児期から刷り込まれるようになっている。
他にも有名なのは、イソップ童話の「アリとキリギリス」が国・地域でストーリーを改変されているという話である。
オリジナルでは、「因果応報」という概念を浸透させるために、キリギリスは餓死することになっているらしい。
「それでは可哀想、子供向きでない」ということでストーリーを改変したのは、ディズニーらしい。イソップ物語には他にもオオカミ少年、ウサギとカメなど、「因果応報」の概念が強く染み渡っている。
さて、さらに一歩突っ込んで、この文化的なストーリーの違いがどこに起因するのかを考えてみたが、一つの答えが「気候や地政学」ではないかと思う。
「世界はカリフォルニアン化を目指す」と最初に言ったのは、確か大前研一の「ボーダーレスエコノミー」だっただろうか?
確かに、自然の恵みがあるところにすんでいる人間は楽天的になる傾向はあるだろう。
個人的な経験では、オーストラリアの連中が、脳天気ともいえるぐらい陽気であった。
日本人が安全や防衛に無頓着なのも、「四方を海に囲まれており、防衛の必要性が薄かった」という地政学のためだという話はよく聞かれる。ロシアや中国での歴史的侵攻が「北から南に進む」というのも、1年中使える不凍港や暖かい心地よい土地がほしいからという話を聞いたことがある。
こういう点で、われわれ日本人的な考え方は、残念ながら恵まれすぎた少数派であることを受け入れざるを得ない。
だから、「常に調和を目指し、打たれ弱い」のも、ある程度は仕方がないのだ。
では、我々日本人的な文化は「少数派」のままでいいのだろうか?
大げさに言えば、リーマンショック後セーフティーネットの必要性の議論などから、ディズニーのようなストーリー改変を先導することができるのではないだろうか?
個人的には、こういう文化的背景を「日本人のよき特性」として維持するとともに、輸出して普及・啓蒙したいものである。
もしかすると、「幼児教育」コンテンツを輸出産業にすることが、大きな社会貢献になるかもしれない。
そういえば、少し違うが、シンガポールのMBAに通っていたときに同級生が子供の教育を話すときの中心は「KUMON」であった。他にも、音楽における「鈴木メソッド」など、海外でも高い評価を受けている日本発の低年齢層教育はあるようだ。
クールジャパンもいいが、マンガやガールズコレクションの輸出だけでなく、もっと低年齢層向けの絵本の輸出も重要なような気がする。