「日本人の強み」を生かす場は、製造業から小売へシフトしつつあると感じるが、サービス業のグローバル競争力や如何に?
「日本人の強み」について、シンガポール在住の昔の同僚と会話したことであるが、「Volatility(バラツキ)の低さではないか」というのが、その際の結論であった。
これ、短所と紙一重かも知れないが、なぜこの「低いバラツキ=人材の安定感」が可能か?と考えると、教育水準だったり幼児教育時代の刷り込みだったりするのでは?とかねがね思っている。。
この特質から、日本人は「そこそこ高度な作業」を行うには適しているとされ、従来は、製造業の工程管理や、設計、開発などでその強みを発揮していた。
最近では、この「平均値の高いインテリジェンス」は小売業に向かっているような気がする。
例えば、コンビニとかユニクロの店長とか。。「カリスマ店員」の類である。
先週(10/12)の「ガイアの夜明け」では、「おかしのまちおか」の店長さんの話が出ていた。
毎日、時間帯や天候によって店の陳列を入れ替えるとのことだ。
経験知・暗黙知ではあるが、データを駆使した現場のインテリジェンスにより衝動買いが誘発されるとともに、顧客満足度向上を通じてリピーターが増える。
小売業は「数学的な確率論と心理学だ」とつくづく感じさせられる。
さらに調べてみると、セブンイレブンはもう10年前から、そういう話を本にしていることに感服させられる。
下手なBIシステムやサプライチェーンでは、ここまでリアルタイムでLocalizeされた臨機応変な対応はできないだろう。「人間なればこそ」可能になる技である。仮にITで可能になったとしてもコスト的に見合うのかどうか。。
先日、ユニクロに家内と8ヶ月の子供を連れて行ったが、こちらから何も言わないのに、「これなら授乳も楽にできますよ」とススめた店員の観察力&会話力に夫婦で感心した。
amazonのrecommendationエンジンでも、そこまでの言葉は選べまい。
人間だからこそできるCRM。ITは、情報を蓄積して類推することはできるが、センサー機能の代替になることは難しい。
さて、話は元に戻るが、確率論としての人材のバラツキがイマイチなのは米国人だけでないらしい。シンガポール在住の友人によると、メイドさんの質とか、アジア人においても状況は似たりよったりとのこと。
「言われなくても自主的にやる」という期待をしつつも、「言われてもやらない」ケースが相当にあるらしい。
確かに、中国進出した企業の店員教育に関する苦労話などもよく聞くような気がする。
数年前の筆者の経験であるが、オーストラリア、香港、シンガポールなどのアジア系人種を中心としたメンバーによるガイジン部隊を集めたシステム開発プロジェクトにおいて、コーディングする部隊とテスト部隊に分けると、開発者は質の低いバグだらけのコードを書く。「役割分担」という概念は、実は「生産者側=労働者側」の効率を重視した「自分さえよければ」の始まりだ。
評価基準として「テスト通過率」を入れたり、自分でテストするような仕組みに変えると、コードの質は向上する。
が、しばらくすると、「お手盛り」でテストする輩が出てくるので、テスト結果を検証する人間が必要になり、相互監視のメカニズムはやっぱり必要になる。
「ポール・ハーシー」のStrategic Leadership論では、スキル・自信・モチベーションの3つが行動を変えるfactorだと教えられたが、特にモチベーションのところが、組織・企業文化と関わってくるので難しい。別の組織論では、「人は報いるレベルにしか働かない」と教えられた。
こういう性悪説的な背景があるからこそ、反面教師として「人事・組織論」とか「インセンティブ論」が発達してきたのだろう。欧米のチップ文化にも相通じるような気がする。
根本的に、「仕事=人生観」になっている日本人と、「仕事=余暇とのトレードオフ」になっている欧米的資本主義の違いもある。
マクロ経済学における「労働賃金の下方硬直性」とか、日本における「労働力の流動性の乏しさ」のような話も、「仕事=余暇とのトレードオフ」から始まっている。
その日本人のよさが、米国流資本主義による管理論によって否定され続けてきたのが、これまでの歴史ではないだろうか? 今こそ、日本流マネジメントの良さを発展させたいものだ。
そのためには、心理学・組織論、リーダーシップ論などの分野で日本企業の成功例をfeatureさせたいものである。