日本人よりも中国人のほうが先天的に英語向きだと考えられる理由
最近、子供の教育準備として幼児の語学教育について調べたところ、思わぬ発見をした。
TV番組などでも「脳科学」関連の話題で「英語は何歳から始めるのが好ましいか?」などという議論があるが、全く同じ動機である。
「日本語は、世界一、音節数が少なくて51音(いわゆる、アイオエオ、カキクケコ・・・ン)。一方、中国語は、世界一、音節数が豊富(ピンインによる表記で405音)。英語はその中間くらい」というのが私にとっての発見であった。
したがって、幼少期に日本語の聞き取り耳だけを鍛えて大人になってしまうと、他言語の聞き取り耳ができる機会を失ってしまうというものである。
人によっては音節数の定義が異なるらしく異論もあるようだが、TOEICで英語のヒアリングに苦労した自分としては、納得するには十分な説だ。
もともと文法では、主語・述語の順序など英語に近いのが漢文である。
これなら、中国人が英語に苦しむことなく留学先で欧米人に馴染んでいるのに、日本人が苦しむ理由がよくわかる。漢字が似ているからといって、決して日本語は中国語に近いわけではなさそうだ。
「こんなところにも、中国躍進の秘密はあったのか。子供には英語の前に中国語教育が先かも。。」と思い始めた今日この頃である。
また数年前、上海を中心に中国を初めて訪れたとき、地図を見て、「漢字、アルファベット、発音表記」の3つがないと役に立たないと実感し、そのためのガイドブックを必死に探したのを記憶している。
この中で、カタカナ表記は、日本人向け発音(通称に近い)ではなく、実際の発音で表記したものである。
例えば、「北京、Beijing」で、「読み方=ペキン」と日本人は理解しているが、アルファベット表記や英語発音は、「Beijing = ベイジン」なのである。
「北京」や「上海」程度なら一般知識として読める人も大勢いるだろうが、これがNo3の国際都市である「広州」くらいのレベルになると、途端に難しくなる。
アルファベットではGuangzhou という表記になって、私自身も「Guangzhou=グアンヂョウ ? これどこ?」となってしまい、当初は頭が付いていかなかった。
もちろん、現地人相手に、「コウシュウ、コウシュウ」等といっても、通じるわけがない。
同じ都市に、「広州 Guangzhou (グアンヂョウ)」という読み方付きで併記してある地図が必須になった次第だ。
漢字であるがゆえに、日本語での音訓読みが染み付いてしまっており、頭をゼロ・リセットして再暗記することが難しいのである。漢字という「読み書き文化」に依存してしまいがちな日本人の弱点と、発音重視、Listening & Speakingでcommunication を Speedyに物事を進めるグローバル・スタンダードの違いが現れたような気がする。
今話題のデジタル教科書では、是非、地理や世界史の教科書で人名・地名を語るときに、「現地語での発音」を入れてほしいと切に願う。
さて、「お互いに漢字文化だから理解できる」と思い込んで油断してはいけないのは、地名だけではない。
留学時代に中国の知り合いから教えられたのは、「よく見る単語だが、日本と中国で全く意味の異なるもの」というクイズである。
例えば、「手紙」は、中国では「トイレット・ペーパー」になるとのことだ。
別名、「厠紙」。確かに、「手にする紙」としてはこちらの方が身近かも。。
類似のトリビアは、こちら。
これからのたしなみとして、子供と一緒に中国語のピンイン表記ぐらいは覚えようと思う。