新興国向けのイノベーションは「日本向け多機能製品から機能を削ること」
吉川さんの「引き算ビジネスの時代」に触発されて思い出したことです。
実はSamsungの研究開発は、「多機能・高価格の日本市場を見てそこから余計な機能を削ることである」という話を聞いたことがあります。
似たような話がサムソン電子元役員へのインタビューとしてこちらにあります。
ここでは「リバース・エンジニアリング」という言葉で語られ、引き算・足し算の両方があり得ると言うコメントであるが、実際には引き算の方がかなり多いかも知れない。
ちなみに自分自身が始めて購入したSamsung製品は、5年前くらいの話であるが、PCモニター機能つきの液晶テレビ(15ピンの端子つき)で10万円くらいであった。
既に、「将来の地デジ対応」のような話もささやかれており、TVチューナーが使えなくなってもモニターとして末永く使えるよう、PCモニター端子だけでなくHDMI端子、ビデオ入力などのユーザーインタフェースが豊富で画面サイズも16:9のワイドでありながら20型の薄型サイズ、、と実にツボを抑えた機能の盛り込み具合である。我が家では今回の地デジ対応において、各種の既存機器をつなぐメディアセンターとして未だに現役で大活躍している。
一方で、色はグレーの一色のみ、プラスチックの表面の処理がザラザラしていたり、画面の回転台などは削除されてフレームと足がプラスチックで一体成形されているなど、「低コスト・機能重視」の用途にはピッタリであった。同じ機能の詰まった製品を国産で探そうとすると、Livingに置いて来客に見せるための高価な大型TV(20万円級で32型くらい)しかなかったような気がする。
もう少し調べると、2008年頃から同じようなことが「日本人のイノベーション至上主義の弊害」として言われていることがわかる。
ということは、日本企業・日本人は自己変革までに少なくとも2年はかかっているということなのだろうか。。
ここで、振り返って2つのことを考えた。
1) 確かに、無から有を作り出すことは難しいが、リバースエンジニアリングはたやすい。だとすれば、日本市場・日本人の価値として、「Leading Edgeなマーケットであり続けること。世界の(少なくともアジアの)実験市場として、新しいものをどんどん取り込み、その成果をglobalに発信し続けること」があり得るだろう。
これは、ガラパゴス携帯やクールジャパンにも通じる生き方であると思うが、ビジネス・モデルとしてはキャラクター・ビジネスなどの知的財産権であったり、Brandイメージなどの情報発信力なのであろう。相手国企業向けに日本市場を解説するようなレポート執筆で食べていくようなリサーチ&マーケティング会社が出てきて、リバース・エンジニアリングそのものを日本人がビジネス・プロセス・アウトソーシングとして請負うくらいの「したたかさ」があっても良いような気がする
2) 「無から有を作り出すのがR&D中心のイノベーション」だとすると、リバース・エンジニアリング中心で現地市場へのadaptationを行うのは、選択と集中であり「戦略的マーケティング」そのものではないか。つまり、日本人が弱いのは、マーケティング力が弱い(というか重要視しない)からであろう。個人的主観ではあるが、消費財の一部の企業を除いて、日本企業ではマーケティングは傍流として扱われているような気がする。
いずれにせよ、足りないのは、現地向けの「マーケティング力」ということかな。
もっとも、日本でマーケティングが特に非消費財の業界で理解されにくい理由として、「マーケティング≒広告・宣伝≒感性勝負≒費用の説明がつきにくいコストセンター」と理解されてしまっている」ことがあるだろう。特にB2Bの業界では、マーケティングとして定義されている機能が、「営業企画」、「営業推進」、「製品企画」のような名称で営業や開発の下に置かれており、低く見られていることも少なくない。
こういう状況を打破するためには、マーケティング担当者側も、「データとロジックで自らの存在価値を説明する能力をつける」ということがより一層求められるようになるであろう。語学力で劣るであろう日本人マーケッターは、海外に出て現地スタッフを納得させるには「数字で表現する能力」というものは避けて通れない。