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日本や日本人って何だろう。改めて「海外」を考えるヒントを身近な話題から

IKEAにみるグローバリゼーションの真髄は、「言語を介さないコミュニケーション」?

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最近、子供が生まれて子供部屋用の家具をそろえる関係から、IKEAのお世話になっている。

IKEAは、マーケティングの世界ではちょっと有名なグローバル展開を果たしたスウェーデンの「北欧風組み立て家具屋」さんである。

日本には昔に一度参入しようとして撤退したが、数年前に再参入を果たし、今回は比較的上手く言っているようだ。

私自身は、「木のぬくもり、無駄のないデザイン、高すぎず・安すぎずという値ごろ感」を備えた北欧家具が昔から大好きで、innovatorのシリーズなども使っていたが、「最近はIKEAさんに押されて撤退」ということで、どうも日本でも IKEAは市場を席巻中のようである。

マーケティングの教科書では、IKEAのグローバル展開が成功した要因として、

  • 徹底した標準化
  • グローバル規模を活かした調達
  • 顧客自身に倉庫からの棚卸を要求するような、ローコストオペレーションとBPR

のようなことが書かれている。

実際に店舗を訪れてこれら教科書的記述の現場も体験したが、現場を訪れて商品も購入して初めて、「グローバリゼーション2.0」という観点から、気づいたのが以下の2点である。

1) カフェテリアのスウェーデン料理など、店舗が文化の担い手になっていること

  • サーモンとザリガニのパテは、我が家のサンドイッチの定番になってしまいました。
  • また、お店としても、ちょっと「きのこ味」のようなクリーミーなソースのかかったミートボールは、スウェーデン料理としてイチ押しのようです。

確かに「郷土料理」は、集客面でわかりやすい差別化ポイントのような気がする。また、働く方々のモチベーションとしても重要な意味合いを持っているのであろう。単なる売り子さんではなく、「文化の発信者である」という働き甲斐を感じられている気がする。

2) 商品の組み立てマニュアルから、極力、「言葉が排除」されていること

これは、漫画文化を推進する「クール・ジャパン」としても、是非見習うべきポイントであろう。

今までパソコンや携帯電話を買うと、輸出仕様も兼ねて各国語で細かい記述を書いた分厚いマニュアルが付いてきたことがあった。

製品を供給側からすると、

  • わざわざ各国語別マニュアルを作成し各国語別に梱包しても、製品の管理単位が増えて在庫管理が難しくなるだけ。
  • だから、どこの市場でも通用するように、最初から全言語での記述をいれてマニュアルを一冊入れておけば、在庫の融通も効かせられる

ということなのであろう。

ところが、IKEAの組み立てマニュアルは、そういう慣れ親しんだ発想を裏切るものであった。
全言語に翻訳した記述を入れたマニュアルを作るのではなく、「最初から言葉を不要にしてしまえ」という発想でできており、すべてが漫画かプラモデルの組み立て説明書のようにできているのである。

例えばこんな感じで、何の言葉もついていない絵だけのページが続く。
Ikea1

Ikea3

上から順に、意味としてはこのようなものであろう。

  • 「プラスかマイナスのドライバーを用意してください (どちらでもOK)」
  • 「壊れるといけないので、床に敷物を敷いて作業をしてください」
  • 「わからないことがあったら、電話してください」
  • 「梱包に含まれている部品とその数は以下の通りです」 
  • 「扉の位置合わせは、上下・前後・左右それぞれ、以下のように各ネジを緩めて、調整してから再度ネジを締めてください」

こんな簡単な文言すら排除してしまうところに、徹底した標準化とローコスト・オペレーションの真髄を感じてしまった。

また、この組み立て説明書で、随所に部品番号が記述されているのがミソである。

似たようなネジなどを間違えないように、すべて部品番号が書かれているのだが、この部品番号は各製品で共通である。したがって、部品を失くしてしまったときなどには、他の製品を購入したときに余ったネジでも、自信を持って流用できると言うわけだ。

「組み立ての説明例」
Ikea2
考えて見れば、WebブラウザやiPhoneなどでもそうだが、「説明マニュアル不要の直感的操作」というのは、グローバル市場で戦うためには必須の要件なのだろう。

グローバル・スタンダードをとるための努力として、業者間の交渉力・コーディネート力のようなことももちろん必要だろうが、この種の図解能力、ユーザーインタフェース開発能力は、本来的には日本人の得意な分野ではないかと思う。

例えば、グローバル企業に勤めていても、日本人はプレゼンテーションチャートで図解が好きだが、欧米人は、だらだらと記述した読む文書の方が好きだという傾向を感じる。何かと裁判沙汰になりかねないお国柄が、そういう文言での記述を要求するのかも知れない。
しかし、欧米でも「MBA卒業生向け、就職用プレゼンテーション講座」のような研修に参加すると、「アニメーション、色づかい、図表を用いたチャート」で「人に伝える」ことの重要性を教えられる。

旅行ガイドブックや家電製品のカタログなどを見ても、同様の傾向だと思う。

この分野では、日本人はもっと自信を持ってよいのだ
ただし、Logicalな欧米人に理解させるために、「色や記号の意味を定義し、統一して使う」というところは、日本人同士の暗黙知やfeelingに流されないように注意すべきところだろう。

例えば、外人には、「◎、○、△、X」というのは単なる記号にしか見えず、Good/badという意味を持たせるには定義が必要である。しかも、「X=bad」という概念は基本的に外人には通用しない。外人には、「X」は「○」と同じで、「ある/なしのチェックマーク」と同じような意味合いであるからだ。

この日本人の強みは、元をたどれば、「左脳分化の欧米人・右脳分化の日本人」と言われるところに根ざすのかも知れない。

もしかすると、日本の多機能携帯電話も、ユーザーインタフェースが変わっていれば世界市場への広がり方は変わっていたかも知れない。実際、「着メロ」や「写メール」などの機能は、日本発であっという間に世界中に広がった。

「満員電車で片手でも操作できること」を目的にして、ひたすら軽く・小さく詰め込むことに走ったのが、「日本だけを見て世界を見ず」となった分岐点のような気もする

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