修理職人がいない
先日、事務所で愛用していたアロマディフューザー(アロマオイルを霧状に拡散し香りを楽しむ機械)が壊れた。電源が点灯しなくなってしまったので、大阪のメーカーへ電話した。状況を伝えたが、そのような症状は他からは出てきていない様子で首をかしげていた(電話口なので想像だが)。電話では詳しいことがわからないので、保証期間内であったこともあり機器交換することになった。
実はこれは2度目であった。購入して2ヶ月後に問題があって機器交換してもらい、また2ヶ月後に同様のことが生じたのである。
利用者は新品に交換してもらえるのだから、文句をいうこともないであろう。実際、私も新品が届いたときと同様の嬉しい気持ちになった。
だが、壊れるたびに新品と交換しなければならないとなると、メーカーはどれだけ交換品を在庫として抱えていなくてはならないのであろうか?
新品と交換のケースは他にも経験があった。デザインセンスのよいPC用バッグを破格値で購入したときであった。2度目に使ったとき、重たいノートPCに耐えかねて、肩ひもを固定していた縫製がほつれて肩ひもがカバンから抜けた。購入元に行ったところ、破格値のため修理はできないとのこと。お金がかかっても構わないので修理したいと伝えたところ、中国で製造していて修理はできないと打ち明けられた。街角には靴やカバンの修理専門店があり、数分で見違えるように修理してくれるのを見ている私にとっては、カバン販売元が修理できないというのはかなり驚きであった。
「作って売っているのに直せない。。」
結局そのバッグを販売した店は、デザイン違いの新品バッグと交換してくれた。
以前からモノは大事に使うことを教えられてきた世代。
アロマディフューザーもバッグも気に入って使っていたので、修理に時間がかかってもやむなしと思っていたのだが、昨今では丸ごと交換してしまう傾向にあるようだ。
顧客向けサポートセンターや従業員向けヘルプデスクでは、利用者のPCに不具合があった場合は問題に執着せず、即交換してPC利用者のタイムロスを極力少なくするようにリプレイスが推進される。
サービスデスクでは、問題がどこにあったかを追求する担当と、不具合によって妨げをくらっている利用者の状態を元に戻してやる担当とは別次元で考えられる。
製品を作るひと、販売するひと、利用者から問合せを受けるひと・・商品が利用者にわたるまでの一連のプロセスは分業され合理化を極める。
「何故こんなことになったんだ?」
「問題の原因はどこだ?」
「前回と何が違うんだろう?」
といった試行錯誤の機会が減ってきているように思う。
モノづくりには最も大切な部分といえるのではないだろうか。