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エネルギーの使い方

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先日、カリスマドッグトレーナーが出演する番組を観た。
その番組では飼い主が犬の問題行動にほとほと手を焼いてトレーナーに救済を求め、見事問題解決を果たす番組である。
そこで、カリスマトレーナーはしきりに「犬の持っているエネルギーを発散してやる必要がある」と言っている。
元気をもてあまし、エスカレートして周囲の物をあたりかまわず噛みちぎったり、壊したり、飼い主を含む周囲の人を遠ざけるといった行動をとる犬の状態をこの
ように解説するのである。エネルギーを適切に放出するには、適度な散歩がいちばんとか。あっという間にトレーナーと心が通い合い、従順な犬にしてしまうのが見事だ。

エネルギーの使い方は人それぞれである。
エネルギーを「やる気」に置き換えて考えてもいい。
何か気にかかることがその人の心を占有していると、心が散漫になって「やる気」が起きない。
何をやってもすっきりしないときは、知らないうちに気がかりなことが内面に起こっているのかもしれない。
気がかりなこと - たとえば、報告・相談する度に上司とのコミュニケーションを負担に思っているとか、前回提出した企画書がダメ出しされたのが未だに引っか
かっていて、また何かいわれるかもしれないと思うと、自由な発想で物事を考えられない とか。。。

また、いま何を大切にしているか、もっとも大事だと思っていることが何かによって、「やる気」の注ぎ方は異なる。
「そんなことどうでもいいじゃん」と思うことが人によって異なるということを、ここしばらく常に感じている。
その一方で、自分がどうしてもこだわりたいと思っていることが、他人にとってはこだわる必要のないことであったりする。

<結論>
エネルギーの注ぎ方は人によって異なるので、注ごうとしている人の意思はたとえ自分とはベクトルが異なったとしても、極力尊重しよう。
自分でエネルギーが出せていない、と思うときは何か気がかりなことがあるのかもしれない。その問題を解決することによって相当気持が楽になるはずだ。ただし
上司とのコミュニケーションの例のように状況が変えられないといった安易に解決できないケースでは、自分の考え方を変えるのも一つである。

最近になってジョギングの効力に驚いている。頭も体もスッキリ、走る前のウジウジ感(行きたくないなぁという気持ち)が嘘のように爽快になる。
人間も適度な散歩でたまっているエネルギーを放出した方が、仕事もプライベートもシンプルに考えられるようになるのかもしれない。

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